TRURH ABOUT LOVE   - 13 -

 分かった、という俊輔の声を聞き、顔を上げた俺を、俊輔はまっすぐに見ていた。

「お前がそれでいいと言うなら、そうしよう ―― 詳細が決まったら、報告する」
 と、言って立ち上がった俊輔にはもう、それまでの迷いの気配は全く見えなかった。
 どういう反応をすればいいのか分からず、無言で見上げる俺から視線を逸らして踵を返し、俊輔は大股でリビングを出てゆく。

 こうするしか、なかったのだ。
 他にどうしようもなかったじゃないか。

 俊輔の後ろ姿を見送りながら俺は、何度も自分にそう言い聞かせる。
 だが、どうしてだろう ―― 俺はそれから長いこと、座ったソファから立ち上がることはおろか、動くことすら出来なかった。

 詳細が決まったら報告する。との言葉通りに俺はその後、
 俊輔の相手となる女性がその筋ではかなり名の知れた極道ものの寡婦であること、
 元々は名古屋のとある組関係者の三女であったこと、
 そのつてで現在は名古屋に居を構えていること、
 今回の件を受けて東京へ引っ越してくること、
 新居は白金台にある高級マンションに決まったこと、
 俊輔と彼女はまだまともに顔を合わせていないこと(過去に一度だけ会ったことがあるらしい)、
 ・・・などなど、細々とした情報を聞かされることになった。

 これらはもちろん、俊輔から聞いた訳ではない。
 まぁ、それはそうだろう。俊輔も話し辛いだろうし、俺だって面と向かってそんな話をされても反応に困る。
 だからこの件についての報告を俺にするのは専ら、三枝さんの役目だった。
 彼の血の通っていない(ように感じられる)杓子定規的なやり方は、今回のような微妙な問題を報告するには正にうってつけであった。
 彼のそういう部分には普段、激しく首を傾げさせられる瞬間が多々あったのだが ―― 物事の利用価値や意義というものは、様々な角度から見た上で判断されるべきものなのだ、まったく。
 そんな訳で、俺は相手の女性の東京への引っ越し作業が完了し、俊輔と顔を合わせる日時まで知っていた。

  ―――― その日。

 夕闇の気配が濃い自室で俺はベッドの端に腰を掛け、部屋の天井と壁の間あたりの、どこでもない場所を見ていた。
 マンションの部屋のどこかで、出掛ける準備をしている俊輔の気配を、ぼんやりと辿りながら。

 俺は特に何も感じていなかったし、何も考えられなかった。
 いや、考えることは出来る。今、そうしているように。
 ただ思考のことごとくが、誰か別の人間のもののように思えるのだ。人事というよりも更に、遙か遠くに。
 こういう傾向はここ数年の間に、徐々に強まってきていた。
 だからこれは、今回の件のせいではない。

 俊輔は“あの日”から2週間後に顔を見せて以降、再び定期的に品川に帰ってくるようになっていた。
 しかし他に女性を囲う ―― という表現は妥当なのだろうか、今回のような場合であっても ―― 件については一切語らず、俺とはあまり口を利かなかった。
 話しかけても話しかけられても、お互いに気まずくて会話がまともに続かないのだ。
 もちろんそれは寂しかったが、お互い徐々に変化に慣れてゆけば、やがて元に戻るだろう、と思っていた。そう、たぶん、いつか、きっと・・・ ――――――

 と、そう考えたとき、遠くでドアが開く音がして、足音がリビングの方へと出てゆく。
 俺は咄嗟に、強く両目を閉じた。
 そして聞こえる足音の一歩一歩までをも拾い集めるように、息を詰める。

 リビングの中央で、俊輔が足を止める。
 ちらりと視線をあげ、壁にかけられた時計の針の位置を確認する。
 次いで右手首に視線を落とし、確認した時刻と腕につけた古く重いロレックスの針の位置があっていることを確認する ―― 彼が普段使っているのは世話になった人から譲られたという古い時計で、手動なのだ ―― 出掛ける直前の俊輔の、いつもどおりの行動。
 軽く息をつき、ゆっくりとした足取りでリビングを出て、玄関へと向かい、ドアが開閉し、辺りから人の気配が消える ―― が、今日はいつもと違い、俊輔の足音はリビングを出て数歩進んだところで、ぴたりと止まった。

 はっとして顔を上げ、俺は自室のドアを見る。
 もう音はどこからも、何も聞こえない。が、俺にははっきりと分かった ―― 1枚のドアを隔てた向こうに、俊輔が立っている。

 久々に、どくりと、心臓が激しく波打つのを感じた。
 血管という血管が脈打ち、熱い血がもの凄い勢いで身体中を駆け巡ってゆく。
 こめかみに熱く焼けた鉄串を差し込まれたような感覚と共に、目の前の景色が妙にぎらついて見えてくる。
 頭の芯がぐらりと揺れる。息が苦しくなり、止めていた息を吐いた。
 その自分の呼吸音が異常なほど大きく聞こえ、俺が思わず飛び上がりそうになった時 ―― それを合図としたかのように、俊輔の気配がドアの前を離れた。
 静かな足音が、玄関へ向かってゆく。

 繰り返すが俺は今日、ここを出た俊輔が白金台にゆくことを、ずいぶん前から知っていた。
 そしてもしかしたら数日、帰ってこられないかもしれないということも。
 だからこんなのは他人が聞いたら馬鹿じゃないかと思うに違いない ―― でも俺はそのときにようやく、初めて考えたのだ ―― これからの俊輔の行動の、一部始終を。

 いっそ、何の経験もなければ良かった。
 これまでの人生において、肌を合わせたのが俊輔とだけだったなら、想像出来ないまま現実を受け入れられたのかもしれない。
 しかし現実はそうではなく、全くそうではなく、俺は下世話と表現しても良いであろうほどリアルに、想像することが出来た。

 衣服を脱がしてゆく俊輔の、官能を煽り立てるような手つき、顎から耳たぶまでを唇で辿ってゆくやり方とその執拗さ、何かを探すかのように冷たい指先で鎖骨の窪みを探る癖、そんな冷たい指が深まってゆく行為と比例するようにぬくもってゆく過程、指とは打って変わって燃えるように熱くしなやかな肌が密着してくる感触、うなじに押しつけられた唇からこぼれる熱い吐息で肌が湿ってゆく感覚、そして最後の瞬間、鼓膜をも愛撫しようというのか、と思うような、ざらりとした低い呻き声・・・そういうものの全てを今後、他人と分け合うことになるのだ。
 俊輔のあの冷たい指先を俺ではない誰かが暖め、あの唇を、肌を、吐息を、声を、俺ではない他の誰かが、俺と同時に知る ――――

 嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ。

 叫ぶように、怒鳴るように、喚くように、俺は唐突に、そう思った。