TRURH ABOUT LOVE - 6 -
それはテレビで駿河会関連の報道がされなくなり、マンション周りをうろうろしていた記者の姿も見えなくなった、とある昼下がりのことだった。
チャイムに呼ばれ、相良さんが来たのだろうと ―― 彼は今日珍しく用事があって出掛けていて、出がけに帰りは夕方を過ぎると言っていたので、ずいぶん早く帰ってきたんだな、と思いはしたが ―― 外を確認すると、ドア外に立っていたのは相良さんではなく、駿河会前会長の側近、御堂栄治だった。
彼がここに姿を見せたことはこれまで、一度もない。
訝しく思いつつドアを開けた俺を、御堂さんはいつもどおりの感情の伺えない表情で見下ろした。
「お久しぶりです」、と御堂さんは言った。
「・・・こんにちは」、と俺は言った。
「大変申し訳ないのですが、これから少々、お時間をいただけますか」
と、御堂さんは言った。
俺は内心ため息をつきつつ黙って頷き、促されるままマンションを出て、用意されていたベンツに乗り込む。
御堂さんの言葉は文法上は疑問形だったが、この人たちのこういう“伺い”の言葉はほとんどの場合命令と同義なのだ。
そこで何を聞いても言っても、単純に労力の無駄なだけで意味はない。
そうして連れて行かれた先は、横浜にある駿河会の本家だった。
御堂さんの姿を見た瞬間から、そして乗せられた車が向かう先が横浜であることを確信してゆく過程で徐々に濃度を増していた嫌な予感は、屋敷内で俺を待っていた駿河会前会長・佐藤要と俊輔の後見人として現在も駿河会の総顧問である辻村組組長・杉浦儀一の姿を見て確信に変わった。
「ずいぶんと騒がしかったようだが、もう落ち着いたかね」
定型文を用いた挨拶の応酬が終り、舎弟の手でお茶が運ばれてきてひと段落ついてから、佐藤要が言った。
「・・・おかげさまで、大体のところは」
と、俺はゆっくりと言った。
「ふん」
と、佐藤要はどうでもいいようにぞんざいに頷き、お茶の入った椀を持ち上げて口をつける。
部屋に、沈黙が流れた。
一口飲んだお茶の椀を置いた佐藤要は脇に置いてあったシガレット・ケースから取り出した煙草を黙々と吸い続け、最初から口を開かない杉浦儀一はやはり一言も言おうとせず、床の間にかけられた掛け軸を眺めていた。
「 ―― ときに、志筑さん」
頭の芯の部分を徐々に引き延ばされて行くような沈黙の果て、とん、と煙草の灰を磨き抜かれたガラスの灰皿に落として、佐藤要が言った。
「・・・はい」
と、俺は顔を上げて言った。
「今回、俊輔が保釈されたときの様子を見たかね」
「・・・ええ。見ていました」
「生放送で?」
「はい。中継を見ました」
「・・・どう思った?」
と、訊かれて俺は激しく返答に迷う。
一体どういう趣旨で、何を目的にしてそんなことを俺に訊くのかさっぱり分からなかった。
まさか中継の感想を聞くために横浜まで俺を連れてきた訳ではあるまい ―― 明らかに目的は何か、他のことにあるのだ。
だがそれが分かったところで、“俊輔の保釈の映像を見て、どう思ったか”という質問を出発点とする話がどこに繋がるのか、ありったけの想像力を振り絞っても俺には分からなかった。
「・・・まず、普通じゃないと思いましたね」
思ったままのことを答える以外に方法を思いつけず、俺は口を開く。
「俊輔が逮捕されるのは今回が初めてだと聞きました。そうだとしたら、逮捕されたりすれば大なり小なり動揺のようなものが見えると思うんです、通常の精神力の持ち主であれば。しかし彼にはそういう様子が微塵も見られなかった。虚勢を張っている風も全くなかった。並の精神力じゃない ―― それを剛胆とみるか、ふてぶてしいとみるかは人それぞれでしょうが」
そこまで言ったところで俺はいったん言葉を切り、テーブルの向こうに座る佐藤要と杉浦儀一の様子をさりげなく窺った。
普段、極道の前でもあり得ないくらい堂々としている、と周りに言われていた俺だったが、対2人とはいえ、駿河会の前会長と現役の暴力団の組長を前にすれば緊張する。
どういうキーワードが彼らの世界において失礼にあたるのか、逆鱗に触れるのかなど、全く知らないのだ。
2人の表情が一応(表面的には)最初と変化がないのを確認してから、俺は続ける。
「しかも初めて逮捕され、保釈された瞬間にあれだけの報道陣に囲まれた上で、怯むどころかああも堂々と口上を述べた訳ですから。この俺ですら ―― 俊輔を常に側で見ていて、彼のああいう部分も分かっている俺ですら、あれには度肝を抜きました。感動・・・というのとは少し違うように思いますが、心が動かされるというか・・・、そういうものを感じたのは確かです」
そこまでを言ったところで、俺は口をつぐんだ。
それほど長く話したわけではないのに、気力を使い果たしたような気分だった。
再びの沈黙があり、しばらくしてから佐藤要は手を伸ばし、
「・・・なるほど」
と、言いながら手にしていた煙草の火を丁寧に消した。
「どうだろう、君が覚えているかどうかは分からんが・・・ここで君と初めて顔を合わせた時のことだ。私が俊輔には類稀なる才能がある、と言うと君は納得出来かねるという様子を隠そうとしなかった。あの言葉を今繰り返したら君は、どういう反応をする?」
「・・・俊輔にとってそれが喜ぶべきものかと考えると未だにすんなり同意しようとは思えません。しかし・・・確かにこの世界においては、才能と呼ぶのでしょうね」
と、俺は答えた。
「この逆境の時代にあの力を何よりもと思う、我々の気持ちも?」
と、佐藤要は言った。
「・・・そうですね。分からない、とは言いません」
と、俺は答える ―― それ以外に、どういう反応も出来なかった。
なんだかどんどん追いつめられてゆくような気分になってゆくのが、不思議だった。 そんな違和感に囚われている俺の様子に気付いているのかいないのか、佐藤要は何気ない口調で続ける。
「あれは父親の血だな、明らかに。一度あの力に囚われたら、逃れられんのだよ。我々もそうだし、君もそうだ ―― と、そこで思わず口を挟もうとした俺を、きっぱりと手を上げて佐藤要は止めた ―― そうなんだよ。いくら違うと言っても、そう思っていたとしても、私には分かる。散々見てきたんだ、あの力を前に道を踏み外してゆく人間を。男も女もない。あれは麻薬みたいなものだ。俊輔の母親である美雪さんもそうだったが、君は特にその犠牲になったくちだろう。いや、それだけじゃない。君は駿河会が抱える澱やひずみを一人で引き被っているようなものだ、それは分かっている。分かっているのだが、・・・ ―――― だが我々はどうしても、あの血と力の継承を諦めきれん」
と、そこで佐藤要はすっと背筋を伸ばし、真正面から俺を見据えた。 熱く冷たい、身がすくむような視線だった。
「全てを分かったその上で、君に頼みたい。俊輔に、所帯を持たせてやってくれないか」