TRURH ABOUT LOVE   - 7 -

 俺はただただ、呆然とした。
 恐らく相当間の抜けた顔をしていたのではないかと思うのだが、佐藤要も杉浦儀一も、にこりともしなかった。

「・・・もちろん、今更君に身をひけとは言わん」
 と、佐藤要はひとつひとつ、言い聞かせるような言い方で言った。
「そういう意味では所帯というのは、言い方が悪かったかもしれないし、こういう言い方も更にどうかと思うのだが ―― いわゆる“正妻”の立ち位置は君で構わない。これは単純に、俊輔に子供を作らせてくれ、という話だ。女性の選択は君に任せる。君がこれならばと納得出来る、君の存在を認められる相手を探して欲しい」

「・・・実はこれは、何年も前から出ていた話なんだ」
 と、そこで今日初めて口を開いた杉浦儀一が言った。
「だが俊輔本人は聞く耳を持たないし、幹部たちものらりくらりと逃げるばかりで、話にならん。三枝などとは何度言い争いになったか、分からないくらいだ ―― 考えられることは全てやった。もう君に頼む以外、方法が見つからない」
 そう言った杉浦儀一はおもむろに、俺に向かって頭を下げた。
「この通りだ、志筑さん。君以外に俊輔を説得出来る人間はいないだろう ―― 思うところはあるだろうが、どうか今回だけは全てをのんで、組織の未来を考えて欲しい」

 どうやって自分がその場所を辞したのか、よく覚えていない。
 少し考えさせてくれ、というようなことを言って、もちろんすぐに心を決めろとは言わない、と返された気がするが ―― 全てがぼんやりとしていて、曖昧だった。

 とにかくはっと気付いたとき俺は、本家の庭の奥にあるあずまやに腰掛けていた。
 すでに日が陰り始めていて、少し寒気がした。

 どうすればいいんだろう、と思う。
 が、どうしようもないことは、本当はよく分かっていた。
 いつも通りこれは、既に決定された事項なのだ。
 彼らはそれを分かっていたはずだし、それを俺が理解していることも承知の上だったはずだ。
 その上での話で頭まで下げられたら、俺がそれを覆すことなど出来るはずもない。それなりの誠意を彼らが見せてくれたことも、分かっていた。

 俺はため息をつき、膝の上で緩く組んでいる自分の両手を見下ろす。

 辛くはなかった。悲しくもない。
 ただただ、心が冷えて重かった。
 最近俊輔に対して抱いていた冷たい気持ちが、じわじわと指先にまで伝わって行く気がした。
 この冷たさがやがて世界中を覆うようになれば、少しは楽になるのだろうか・・・ ―― と、俺がそんな埒もないことを考えて苦笑したときだった。

 後ろに人の気配がして振り向くと、そこには見知らぬ男が2人、立っていた。
 佐藤要か杉浦儀一が俺を探しにゆくように指図したのかもしれない、と俺は思った。
 ぼんやりしていたので時間の経過が定かではなかったが、かなり長い時間が経っているのかもしれない。俊輔たちに俺の不在が知られてしまっては、面倒なことになるだろう。

 そう思った俺が慌てて立ち上がると、2人の男たちはゆっくりと俺に近づいてきた。

「おまえがうちの会長の男妾か?」
 と、片方の男が言った。
 それは見るのも汚らわしい、汚物を見るような視線と口調だった。
「おい、やめろ。会長はえらくご執心だって話なんだから」
 と、もう片方の男は言ったが、言い方や視線はもう一人とそう変わらず、蔑みの色が濃かった。
「まぁ、今はそうかも知れねぇけど・・・しかし分からないな。確かに顔はいいけど、完全に男じゃねぇか、コレ」
 そう言った男が、俺の顎をつかんで上向かせようとした。
 俺は思わず、飛び退るように伸びてきた手から逃げてしまう。
 それは彼が嫌だったというより、反射神経的なものだったのだが、俺の反応を見て男たちは顔を歪めた。
「何様だ、貴様・・・お高くとまりやがって・・・」
「おまえみたいに男のくせに妾やるような奴はな、会長に飽きられたらおしまいなんだよ。それ分からねぇほど、馬鹿なのか?・・・あぁ?」
「おい、なんとか言えよ、会長がいないと話すことも出来ないのか?」

 男たちの口調や態度はステレオタイプのチンピラのそれで、怖いと言うより滑稽に思えた。
 そもそも本家の真ん中で、彼らが暴力沙汰など起こせるはずもない、という気持ちも俺にはあった。
 が、それはそれとしてやはり未だに見知らぬ男に取り囲まれると身が竦むし、彼らの攻め方は先ほどの話を聞いた後の俺には内容的にきつすぎた。

 反論も出来ず逃げ道もふさがれ、途方に暮れていた俺の視界にその時、思いがけない人物の姿が入った。
 まずい、と思った俺はいい気になって話し続ける男たちの話を遮ろうとしたのだが、間に合わない。
 そもそも俺が言ったことに彼らが素直に従ったかどうかは、甚だ疑わしいところではあるのだが。

「楽しそうなお話ね。私も交ぜてくださる?」
 と、あずまやの上がり口の下で、にこやかに菖蒲さんが言った。
 振り返って菖蒲さんの姿を見た瞬間、チンピラ風味の2人の舎弟は文字通りその場で凍り付く。
 深紅の地に黒い花の影を染めぬいた柄の着物を着た菖蒲さんは、ゆっくりとした足取りで段をあがり、2人の前にやってくる。
 そして言う、「どうしたの、続けていいのよ」

 すでに肌寒くなってきたというのに、彼らの額に汗がにじむのが分かった。
 たっぷりと数分黙ってから、菖蒲さんはくちもとに浮かべていた笑みを消し、白い目で男たちを睨みあげる。

「あなたたちが今日ここで、志筑さんに言ったこと ―― 会長や私の前で繰り返せて?」
「・・・、姐さん・・・す、すみませ・・・」
「謝らなくていいわ、赦さないから。・・・出てゆきなさい。二度と顔を見たくない」
「あ、姐さん・・・!」
「聞こえなかったの、出てゆけと言っているのよ ―― 谷川(たにかわ)」
 と、菖蒲さんが言うと、影から一人の男が出てきて、男2人の襟首をひっつかむようにして去ってゆく。

「・・・何も追い出すことは・・・あれくらいのことで・・・」
 彼らの姿が消えてから、俺は言った。
 すると菖蒲さんは怒りの表情はそのまま、まっすぐに俺を睨み、
「何を言うんです。志筑さんを馬鹿にするということはつまり、あなたを選んだ会長を馬鹿にするということです。簡単に赦せることじゃありません ―― 志筑さんももう少し、しっかりしていただかなくては」
 と、叱りつけるように言った。
 暫し菖蒲さんの視線を受け止めていた俺だったが、やがてその彼女の視線の強さにいたたまれなくなる。
 俺は暮れゆく空の様子を窺うふりで視線を逸らし、
「・・・そう ―― そうですね・・・俺はもっと、しっかりしないといけない」
 と、呟いた。