TRURH ABOUT LOVE   - 9 -

「・・・、・・・それで?」
 しんとした空気を破って、菖蒲さんが言った。

 彼女の声は冷たく、突き放すような雰囲気があった。
 ただ俺の手首を掴む指だけが、燃えるように熱い。
 俺はどうしても、顔が上げられなかった。

「・・・菖蒲さん、あなたが・・・、その、相手の女性を選んでいただけませんか」
 俯いたまま、俺は答えた。
 ひゅっと小さく、菖蒲さんが息をのむのが分かった。
「・・・こんな厄介な頼みごとをして、申し訳ないと思います。けれどあなた以外に、こんなことを頼める人はいない。元会長には俺が選べばいいと言われましたが、俺はそんな女性に心当たりなどありません。・・・あなたなら、色々な方をご存じでしょうし、この世界で無理なくやってゆける資質のようなものにも詳しいでしょう。その中から、俊輔が気に入りそうな女性を選んで下さいませんか。もちろん、最終的には俺も一度、その方と会わせていただくつもりです。俺は俊輔と女性の間に介入する気はありませんが、俺の存在は隠しきれないでしょうから ―― それなら最初から全てを、ありのまま知っておいてもらったほうがいい。・・・でも ―― でももし、出来ることなら・・・、あなたさえ良いのであれば菖蒲さん、俺は、あなたに・・・ ―――― 」
「志筑さん」
 と、そこで菖蒲さんが低い声で、俺の名を呼んだ。
 顔を上げられずにいた俺が反射的に、うたれたように視線を上げた、そこにあった菖蒲さんの双眸は昏い光を湛え、ぬめるように光っていた ―― 呪怨に満ちたような念すら感じられるその視線に、俺の舌は凍ったように動かなくなる。

 固まった俺とそんな俺を表情を変えずに見つめる菖蒲さんの間に、窒息しそうなほど重苦しい沈黙が静かに滲みだし、それが瞬く間に部屋を覆ってゆく。

 本気で息が出来ないような錯覚に陥った俺が、パニックに陥る一瞬前 ―― 菖蒲さんが何の前触れもなく立ち上がり、
「帰ります」
 と、なんだか色々なものをぶつ切りにするような言い方で言った。

 それを聞いて俺は慌てる。
 確かに言いかけた最後の言葉は、口にしてはいけない部類の言葉だったかもしれない。
 けれどここで菖蒲さんに見捨てられたら、俺には打つ手がなくなってしまう。

「・・・あ ―― あや・・・、菖蒲、さん」
 と、俺は言った。
 つっかえつっかえな俺の呼びかけに、部屋から出て行きかかっていた菖蒲さんが足を止めて振り向く。
 彼女の表情には先ほどのような冷たさはもうなく、代わりに哀れみの色が濃く浮かんでいた。

「 ―― 私は我儘な女ですから」、と菖蒲さんが静かな声で言う、「好きな人よりも、嫌いな人の方が多いんです。志筑さん、私、あなたのことまで嫌いになりたくないわ」
「・・・、すみません・・・」
 と、俺は謝った。そして浮かしかけていた腰を再びソファに沈める。
 続けて何か言わなければと思ったが、言葉は何一つとして、出てこなかった。

「・・・俊輔さまのことをもう、愛していらっしゃらないの?」
 暫くしてから、菖蒲さんが訊いた。
 俺はやはり答えられず、無言で何度か小さく、首を横に振った。

「・・・分かりました」
 再度暫く間をとってから、菖蒲さんはため息と共に言った。
「志筑さんがそうお望みなら、そのお話、お引き受けします。一人、心当たりの女性が・・・駿河の下位団体の幹部をしていて、数年前の抗争で命を落とした男の妻だった方です。こういうお話なら、初婚でない方が良いでしょう」
 そうかも知れないな。と思った俺は、首を縦に振った。
「近いうちに顔合わせが出来るよう、手配をします。ご都合の悪い日など、ありますか」
 と、菖蒲さんが続けて訊いた。
 俺は首を横に振って、答えとした。
 分かりました。と菖蒲さんは言い、今度こそリビングを出て行きかけ ―― 最後に、

「本当に、これでよろしいんですのね」

 と、振り向かずに確認した。

 その質問に対して、俺が首を振る方向を考えあぐねている間に、菖蒲さんは返事を待たずに今度こそ部屋を出て行った。

 もしかしてこういう状況となる可能性を見越して、女性のあたりを前々からつけていたのだろうか?と思うほど早く、菖蒲さんは俺にひとりの女性を紹介してくれた。

 彼女とは少しだけ話をしたが、どんな話をしたのかはあまりよく覚えていない。
 彼女の顔すら別れ際、それではよろしくお願いします。と言って後ろを向いた瞬間にぼんやりとして、よく分からなくなってしまった。

 最近はどうも、分からないことがどんどん増えてゆくよな・・・と、ぼんやり思いつつ日を過ごしながらも俺は、それ相応の覚悟はしていた。

 まぁ、当たり前だ。
 こんな話を聞いて俊輔が憤らない筈がないのだから、決める腹は決めて足元を幾重にも固めておかないと、とんでもないところに流されてしまう。
 彼の起こす波に自分が酷く弱いという自覚がもう、俺の中には揺るぎなくあったのだ。

「・・・今日、とんでもない話を耳にしたんだが」

 足音荒くリビングに入ってきた俊輔が、俺の前に立ってそう言ったのは、俺が相手の女性と顔合わせをした翌々日の事だった。

「・・・どんな話だ?」

 とうとう来たな。と思いながら俺は訊き返して手にしていた本を閉じ、ゆっくりと顔を上げた。