Love Potion

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 それから数日後、龍二郎が深夜過ぎにマンションに戻ってみると、思いがけず怜が起きていた。

 言うまでもないが龍二郎の生活は限りなく不規則であるため、龍二郎は普段から怜には“自分に構うことなく生活するように”と言っていた。
 だから怜も普段は12時を過ぎると、眠ってしまっていることが多いのだ。

「どうしたんだ、こんな遅くまで・・・明日、休みだって言ってたか?」
 居間のソファでテレビを見ていた怜に、龍二郎は訊いた。
「うん、っていうか、今日はクリスマスだし ―― もう12時過ぎちゃったから、クリスマスじゃないけど」
 手にしていた本を閉じながら、怜は答えた。
「ああ、そっか、そういやクリスマスだったな」
「・・・“だったな”って、龍二郎さん・・・歌舞伎町がシマだって言ってる人の台詞とは思えないな。この時期、あの辺りは凄い人だよね」
「まぁ、確かにな。でも見回りなんかは殆ど、若いのに任せてるからな。上がりが来てみてようやく、ああそうだったなって思う程度だ、毎年」
「そうなんだ。・・・まぁそれはともかく、せっかくだから“らしい”ことしてみようかなと思って、色々作ってみた。この時間だと胃にもたれそうだけどね」

 と、言われてリビング中央の食卓を見てみると、チキンやらなにやら、クリスマスらしい食事がクリスマスらしい色彩に彩られて用意されていた。

「・・・すげぇな」
 と、龍二郎は感心したように言った。
「だろ」
 と、怜は得意げに言った。
「俺も昨日は休日出勤だったから、簡単なものしか作れなかったんだけど」
「いや、十分すげぇよ。俺はこういうのに縁がなかったしな、今まで」
 龍二郎は言い ―― ふと奇妙な表情になって、怜を見下ろす。
「まぁでも、何だ、お前の家なんかは、毎年毎年、凄いことしてたんだろうけどな」
「・・・、んー・・・そうだね、うん、確かに凄かったことは凄かったよ」
 ちらりと龍二郎を横目で見てから肩を竦めて、怜は言う。
「毎年百人以上の財界人や著名人を招待して、フランス、イタリア、ドイツ、中華、日本料理なんかはもちろん、名前を聞いたこともないような国の料理人達がずらーっと並んで目の前で料理を作ってサーヴしてくれて、パティシエとかバーテンダーも有名な人を何人も呼んで・・・ああ、あと、毎年お決まりのイベントっていうか、ショウ・アップ的なものもあった」
「ショウ・アップ?」
「うん、グラスをうず高く積み上げて場内を暗くして、照明を当てて・・・ドン・ペリを使ったシャンパン・タワー。それがクリスマス・ツリーの代わりになってて」
「・・・なんかもう、想像も出来ねぇ世界だな。嫌味にすら聞こえねぇや」
 ばりばりと髪の毛をかき回して、龍二郎は言った。
「でも、全然楽しくなかったけどね」
 淡々と、怜は言った。

 それを聞いた龍二郎が改めて見下ろすと、怜はじっと龍二郎を見上げていた。

「龍二郎さんとなら」
 と、静かな声で、怜は言う。
「違って見えるんじゃないかって思うんだ。これまで楽しくなかったことや、大っ嫌いだったこととかも ―― たぶん、もしかしたら」

「・・・、・・・お前なぁ」
 怜の視線を無表情に受け止めていた龍二郎が、上げた右手の中指で眉間をかきながら、言う。
「そんなこと言ってて、本当にいいのかよ。これからのこととか、考えたりはしねぇのか」

 そろそろ怜を手放すべきなのではないのか、怜を庇護する存在は自分でない方が良いのではないのか ―― それは龍二郎がここのところずっと、考えていることであった。

 確かに最初は怜を危なっかしくて放っておけない奴だと思ったし、今もそう思わなくもない。
 だが怜にはどこか、人を惹きつける力があると思うのも事実だった。

 最初に怜の面倒を見ていた“ファラオ”のオーナー小宮山晴美もそうだし、自分もそうだし、怜が現在働いている就職先にしてもそうだ。
 極道の関係者だという人間など、普通に考えれば雇おうとは思わないだろうが、調べさせたところ怜は当の雇い主だけでなく、その奥方や顧客などからも相当可愛がられているらしい。
 元来頭が良く、そうかと言って出過ぎることもなく、性格も穏やかで優しい怜はきっと、どこに行っても庇護者を見つけて上手くやってゆくに違いない・・・ ―――― 。

 黙り込んでしまった龍二郎を見上げていた怜はやがて、ゆっくりとその視線を伏せた。

「・・・実はこの前事務所に行ったとき、及川さんにも言われたんだ ―― 俺には帰れる場所があるんだから、そろそろ帰るべきだって」
「 ―― 及川さんが・・・?」
「うん。きっと龍二郎さんに俺から余計な火の粉がかかるのを、心配しているんだよ。新橋先生も最初の頃、似たようなことを言ってた気がする」
 と、怜は穏やかな口調で言った。
「だから、調べてみたんだ。俺が今どうなってるのか ―― 実は俺、表向きにはイギリスに留学中ってことになってたんだけど」
「・・・ああ、それは聞いてる」、と龍二郎は言う。
「聞いてる?誰から?」、と怜は訊く。
「“ファラオ”のオーナーから。お前を探していたときにな」、と龍二郎が答える。
「そっか、そうなんだ。それなら話は早いや ―― それで調べてみたら、俺は今、向こうの日系企業に就職してることになってたよ。それで行くと俺の帰る場所って、イギリスってことになるのかな」
 と、怜は言った。

 それはまるで、見ず知らずの他人について語っているような口調だった。
 龍二郎は黙ったまま何一つ言えず、怜は落ち着いた目をしたまま、続ける。

「こんなことを言ってるからって、同情をひこうとしてるとか、そういう風には取らないで欲しい。今言ったことは予測して出て来たし、あの家ではそれが当然の成り行きなんだ。別にショックですらない。本当だよ。
 ただ龍二郎さんには、分かって欲しいんだ ―― 我儘なことを言ってるのは分かってるけど、俺は龍二郎さんがこんな奴はもう側に置いておけないって、もう嫌だって・・・好きな人が出来たとかでも何でもいい、龍二郎さん自身が本当に俺をいらないって思うまで、側にいさせて欲しいと思ってる。それ以外の望みなんてない」

 訥々とした口調と共に怜が送ってくるひたむきとしか表現出来ないような視線を受け、龍二郎はため息ともつかない息を吐く。

 「長く時間を過ごせば過ごすだけ、俺といるのは弊害にしかならないぞ ―― 後悔するかもしれねぇとは、思わねぇか」
 と、龍二郎が訊いた。
 「後悔なんか、したとしてもしない」
 と、間髪入れずに、怜が答えた。

 それを聞いた龍二郎は苦笑する、「お前、日本語が妙だぞ」
 怜はにこりともしないで答える、「分かってるよ。知ってて言ってるんだ」

 龍二郎は再度、あぐねきったように苦笑する。
 そんな龍二郎を間近に見上げていた怜は、もう面倒だとでも言わんばかりに強く龍二郎を引き寄せ、その唇に口付ける。
 交わされる口付けがどちらからともなく慌ただしくなってゆき、その合間に怜が何度も、囁くように龍二郎の名前を呼ぶ。

「・・・お前のその声で呼ばれると、理性が崩壊してく気がするよ、俺は、・・・」
 唇を触れ合わせたままの距離で龍二郎が呟き、それを聞いた怜は笑う。
「じゃあ完全に崩壊するまで、名前呼んでおこうかな」

 怜のその言葉に龍二郎はこれまでとは違う、きっぱりとしたやり方で怜の肩を掴んで自分から引き離した。

「んなこと言って後でやっぱ嫌だとかなっても、離してやんねぇぞ、縛り付けてでも」
 睨むように、脅すように怜を見下ろして、龍二郎が言った。

「 ―― それが望みだって言ったら?」
 龍二郎の視線を少しのぶれもなく受け止めて、怜が言った。 「・・・、・・・お前って時々、妙にタチ悪いよな・・・」

 宙に浮いたような短い沈黙の後で龍二郎は言い ―― 再度荒々しく、怜の身体を抱き寄せた。

「今日は平日のこの時間だし、いるとしたら龍二郎かと思ってたけど・・・思いがけず怜くんがいて、ラッキーだったな。このチキンサンド、美味かったよ、ごちそうさん」

 空になった皿を前にして、新橋医師が言った。

 クリスマスが明けた翌日の、正午を数時間過ぎた頃。
 龍二郎に渡す荷物を持った新橋医師が、マンションにやって来ていた。
 普段は宅配ボックスに入れてそのまま帰ってしまうのだったが、念のため、とベルを鳴らしてみたら怜がおり、昼食を一緒に取っていたのだ。

「昨日休日出勤だったので、俺は振休で ―― 龍二郎さんはついさっき、出て行ったところなんですよ。ちょうど入れ違ってしまった感じですね」

 キッチンでコーヒーを作りながら、怜が説明する。

「・・・ふぅん・・・、ま、龍二郎にはその荷物渡して貰えば分かるから、宜しく言っといてよ。
 で、休日出勤って、今忙しいのか?仕事」
「そうですね、年末だけに色々と雑用があったりして・・・でも昨日で大体終わりましたから」
「そうなんだ、じゃあ年末年始は普通に休める感じ?」
「はい。俺は28日からお休みです」
 と、怜は言ってゆっくりとキッチンから出て、新橋に新しいコーヒーを出した。
 そしてテーブルを挟んで、新橋と向かい合う。
「新橋先生は?お休みはいつからなんですか?」
「あー、俺は一応、2日が休みだけど・・・まぁ年末年始はなんだかんだと呼び出されることが多いから、結局病院泊まりだろうな」
 と言って、新橋は熱いコーヒーに口をつける。
「そうなんですか・・・お医者さんって、本当に大変ですね」
 心配そうに小さく顔をしかめて、怜が言った。
「いやいやいやいや、俺なんか怜くんよりは大変じゃないさ。ぜんっぜん」
 芝居がかったやり方で頭を左右に振りながら新橋医師が言い ―― 怜は意味が分からず、首を傾げる。
「・・・どうしてですか?」
「いやぁ、だって、身体。今日とか、すっげぇキツそうじゃん。動きがぎこちないったら、かわいそうに」

 再度、ごちそうさまでした、という風な素振りを見せてから立ち上がって、新橋は言った。
 そして咄嗟に返す言葉を見失った怜を、どこかからかうような視線で見下ろす。 

「俺はエールしか送れないけどさ、休み中は龍二郎に抱かれ殺されないように気をつけな。それと龍二郎に、ほどほどにしとけって新橋が言ってたって、言っといて」

 そう言ってひらりと手を振って部屋を出てゆく新橋に、怜は何一つ、どんな反応も返せなかったのだった・・・ ―――― 。

―――― Two Moon Junction 番外編 Love Potion END.