Love Potion

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 及川が立ち去ってから数十分後、部屋に戻って来た龍二郎を見て、怜は弾かれたように立ち上がる。

「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
 飛ぶようにして龍二郎の前に立って行った怜が、言う。
「今回のことは、考えなしで軽率な行動だったと反省してる。迷惑かけて、ごめんなさい」
「・・・もういいよ。こういう可能性を考えて、事前にきちんと注意しておかなかった俺も悪かった」
 必死な様子で謝る怜を見下ろして龍二郎は言い、少し躊躇ってから右手を上げて怜の左頬に触れた。
「こっちこそ、さっきは叩いたりして済まなかった。ついカッとなっちまって・・・痛かったろう」
「大丈夫だよ、そもそも俺が悪かったんだし、それに、・・・ ―――― 」
 と、そこで怜は言い淀む。
「・・・それに ―― 何だよ?」
 と、龍二郎が続きを促す。
「あ、うん。実はああやって手を上げて怒られたりするのって、小さな頃からの、夢、だったっていうか・・・」

 視線を伏せた怜が呟くようにそう言うのを聞いた龍二郎は、反応の方向性を見失う。
 続く沈黙の中、自分が今口にした言葉がどう捉えられるかに気付いた怜は、慌てて顔を上げる。

「あ、あの、ごめんなさい、変なこと言って・・・えっと、悪いことをしたって反省しているのは本当だし、あんなことしなければよかったと思ってるのも本当だし、こんなことなければよかったのも分かってるんだ。だから今言った夢って言うのは、そういうのとは別の意味っていうか、次元が違うっていうか、単体での話っていうか、そういう意味であって・・・だから、あの、その・・・ええと・・・ ―――― 」

 怜は空中に奇妙な図形を描くような手振りと共に、言った。
 が、続ければ続けるほど、焦れば焦るほどドツボにはまってゆき、説明の言葉は収集がつかなくなる。

 それを自覚した怜の口調はどんどん弱々しく尻つぼみになり、やがてなし崩し的に途切れたまま空中分解するようにして、消えた。

「 ―― ったく・・・、お前はほんっと、仕方ねぇな・・・」

 再度の短い沈黙の後、龍二郎が言った。
 呆れたような声音だったが、それが表面的なものであるのを察した怜が、そろそろと視線だけを上げて龍二郎を見る。

「・・・、ごめん・・・」
 と、もう一度、怜は謝った。
「謝んのはもういいって。ただし、今後は気をつけろよ」
 撫でるように怜の頭に手を置いて、龍二郎は言った。
「・・・うん」
 頷くのと同時に怜は言い、それを確認した龍二郎は手を下ろす。

「さて、今日は俺ももうこれで帰れるから、なんか適当に食って帰ろうぜ。結構旨い料理を出す飲み屋があるから、連れてってやるよ」
「 ―― 飲み屋さん?」
「んー、飲み屋っていうか、小料理屋ってのに近いのかもな。
 鳥料理の専門店なんだが、ちょっと凝った料理を出す店で、お前は好きだと思うぜ。一度連れて行ってやりたいと思っていたから、ちょうど良かった」

 そう言いながら部屋の出入り口へと向かう龍二郎の背中を、怜はその場に立ったまま見送る形になった。

 龍二郎が気を遣ってそんなことを言っているのは、もちろん怜は分かっていた。
 普段 ―― 特に怜と暮らすようになってからは殆ど外で食事をせず、飲んで帰って来てもまともな食事は家でする龍二郎なのだ。

 それに先ほど及川が来て言っていたようなことを龍二郎が考えていないのも ―― 少なくとも現時点では ―― 怜には分かった。

 でも、と怜は思う。

 そう、けれど当然ながら何事においても、永遠ということはない。
 今日何の気なしにした行動が、龍二郎たちにとっては大事(おおごと)であったように、自分はこの世界のことをあまりにも知らなすぎる。
 こんな自分を龍二郎が今後、負担だと感じて切り捨てないという保証は、どこにもないのだ。

 そこに考えが至った瞬間、その可能性が作り出す衝動に突き動かされるように、怜は龍二郎の後を追った。  そしてドアノブにかけようとしていた龍二郎の右腕の、肘のあたりを掴んで引く。

「龍二郎さん」
 と、怜は言った。
「なんだよ」
 と、龍二郎は言い、首を曲げて怜を見下ろした。

 そんな龍二郎を見上げて、怜は言う、「 ―― 好き」

 怜がそう言った瞬間、龍二郎の顔から表情という表情が滑り落ちるように消えた。
 だがやがて龍二郎は激しく眉根を寄せ、怜に掴まれている自分の腕を、その手からひったくり取った。

 そして龍二郎は言う、「お前、ふざけたことばっか言ってんじゃねぇ」

 龍二郎のがみがみとした口調に、怜は憮然とする。

「・・・なにそれ、ふざけてなんかいないよ」
 唇を尖らせて、怜は言う。
「俺はただ、思ったことを思ったときに、きちんと伝えておかなきゃって思って、そうしただけで ―― 」
「ああもう、うるせぇ、少し黙れ。大体な、思ったことを何でもかんでも、予告もなしに口にしていいって道理はねぇだろうが」
 一つ一つの言葉を叩きつけるように龍二郎は言い、舌打ちをする。
「 ―― ったく、こっちは危うく、マットに沈んでカウント取られるところだ」

 そして龍二郎は、口調と同じ荒々しいやり方でドアノブを回してドアを開け、外に出て行ってしまう。

 一瞬、何がどうなったのか把握し損ねた怜は、龍二郎の腕を掴んでいた格好のまま、暫しその場で固まったように立ち尽くしていた。

 けれど数瞬後、龍二郎に廊下の向こうから、
「おい、怜!ちんたらしてねぇでとっとと来い、置いてっちまうぞ!」
 と、怒鳴られ、その八つ当たりじみた声を耳にした怜の顔に、悪戯っぽい笑いが浮かぶ。

 浮かんだ笑いは時を置かず、泣き顔に近いようなかたちに歪みかかったが ―― 怜は強く首を横に振ってそれを振り払い、足早に龍二郎の後を追った。