Two Moon Junction

第11話

「 ―――― なんだ、今の」

 怜の唇が離れていってから数秒後、龍二郎が訊いた。

「・・・なんだろう」、と目を伏せたまま、怜が言った。
「・・・なんだろうじゃねぇだろ、キスだろ」、と龍二郎が言った。
「ああ、うん。そうだね」、と怜が言う。
「・・・最初にお前、そっちの趣味はないって、言ってなかったか」、と龍二郎が言う。
「うん、ないよ」、と怜は言った。そして視線を上げ、じっと龍二郎を見る、「全然ない」

「・・・じゃあ、なんで」、怜から視線を外してあらぬ方を見ながら、龍二郎が訊いた。
「してみたかったから」、当然のような口調で、怜が答えた。

 その明朗快活と言ってもいいような返答の仕方に、龍二郎は思わず笑ってしまう。

「お前な、そんなことばっかしてっから、刺されたりするんじゃねぇの。だいたいさ・・・」
「こんなこと、誰にでもしてるわけじゃない ―― 分かってるくせに」

 2人の間を流れる空気を、何とか誤魔化してやり過ごそうとするかのような龍二郎の言葉を遮って、怜が言った。
 その声には、静かだが確固たる激情が潜んでいた。

 怜から視線を外したまま、龍二郎は口をつぐむ。
 黙り込んだ龍二郎の横顔を、怜はじっと見ていた。

 痛みを感じるほどに強い怜の視線を横顔に受けながら、龍二郎は思う ―― ここで再び怜を見たら、もう後戻りは出来ない、と。

 一番いいのは今すぐに立ち上がり、どこか ―― どこでもいい、どこかへ立ち去ることであろうことも、龍二郎は知っていた。
 それは自分にとってだけでなく、怜にとっても。

 足元からじわじわとその身を起こしてくる欲望の影はたぶん、今日起こったあらゆる事柄から派生した暗闇が生んだ、幻のようなものだ。
 その影は明日の朝になればきっと、綺麗さっぱり消えてなくなっていることだろう。
 多少の違和感やしこりは残るかもしれない、が、ただそれだけだ。
 ならば、そうするべきだ。その方がいい。絶対にそうだ、しかし・・・ ――――

 しかし、幻でない欲望など、どこにあるのだ、と龍二郎は自問する。
 欲望はいつでも所詮、変幻自在で捉えようのない、陽炎のようなものだ。光の加減でいくらでもその形を変え、ある時にはあっという間もなく消え果ててしまう。
 そんなものをこれまでに龍二郎は一度だってはっきりと見たことはないし、手に取ったこともない。
 これからもそれは同じだ。それはゆらめく幻の影として人を翻弄するのだ、きっと ―― 今、この瞬間のように。

 龍二郎は一度強く両目を閉ざしてから、鋭い勢いで怜に向き直る。
 そして見上げてくる怜の喉元を激しい所作で掴んで引き寄せ、噛みつくようにその唇に口付けた。

 それは先ほど怜がしたようなただ触れるだけのものではなく、奪い尽くして貪り尽くす、飢え果てたような口付けだった。

 息つく暇もなく、いや、呼吸する間すら惜しみ、幾度も、幾度も、角度を変え、強さを変え、どちらからともなく舌を絡め合い、唾液を行き交わせ、経過する時間を乗算するように、もっともっと、熱く、たぎるものを求めて、情欲が果てもなく、音もなく、膨れ上がる。

 突き上げる情欲に駆り立てられるように、無言で立ち上がった龍二郎が怜を寝室に引きずり込み、その身体をベッドに沈める。

「・・・俺がやっていいのか」
 上がる呼吸と口付けの合間、互いに急いた勢いで服を脱がせ合いながら、龍二郎が一応、という風に訊いた。
「・・・ん・・・、よく分からないけど、逆って自信ない、かも・・・、っ、は・・・」
 肌を撫でおろすように服を脱がしてゆく龍二郎の問いに答えた怜が最後、下着の上から欲望の熱を押さえ込まれ、夜の闇に喉を晒す。

 曝け出された喉に強く口付け、軽く歯をたてるようにした龍二郎が、
「自信がないって、なんだ、そりゃ」
 と、言って忍び笑う。

 肌にたてられた硬質な歯の感触と、龍二郎の低い笑い声が、喉仏から背骨を伝わるようにして怜の体内に響き渡る。
 激しく身体が震えそうになるのを奥歯を噛みしめるようにして堪え、怜は答える、「だってこの体格差は余りにも・・・、ぁあっ・・・!」

 衣服を全て剥ぎ取られて身体をうつ伏せにされたのと同時に、ぬるりとしたぬめりを帯びた龍二郎の手指に後孔を探られ、怜の背が軋む。

「・・・っ、龍二郎さん、こそ・・・その趣味はないって、い、言ってたのに・・・なにこの、っ、手際のよさ・・・」
「俺は新宿歌舞伎町一帯のあちこちを担当してるって、言ってんだろうが」
 その場所にじわじわとぬめりを移しながら、龍二郎が言う。
「その手のもんは商売柄、一応一通り見てみてるんだよ。だから試してみたけりゃばよりどりみどり、色んなもんがあるぜ。SMものからなにから」
「・・・っ、絶対やだし、そんな ―― っく、ぁアあ、は、んんっ・・・!」

 表面をなぞるだけだった指が予告なくその内部に挿し込まれ、怜の言いかけた言葉が苦しげな呻き声に変化する。
 ゆっくりと、じれったいほどの時間をかけて挿し込まれた長い龍二郎の指が、挿し込んだのと同じやり方で内部を探ってゆく。

 気が遠くなるような羞恥と違和感、訳の分からない、叫び出したくなるような焦燥。
 故意なのか偶然なのか、時折腰の辺りに押しつけられる龍二郎自身が、布越しにもその質量と熱を上げてゆくのを感じる。
 それらが相まって、怜の思考能力をどんどん奪ってゆくのだ。
 加速度的に浅く、早くなってゆく呼吸と、鼓膜の脇に心臓が移動してきたのかと思うほど、その鼓動の音が耳にうるさかった。

「 ―― っ、あぁ!」

 内部を探る指が、増やされる。
 いや増す違和感と、異物感。

 怜の体内に挿し込まれた2本の指が、全てを暴き出そうとするかのようにその内部でぐるりと円を描く。
 途中、怜が鋭い反応見せた箇所を、龍二郎が絶妙なタッチで刺激し始める。
 指先がぬめる怜の内部の粘膜を弄び、その場所を捏ね回すように行き来し、途切れることない淫らな低い水音が暗闇に響く。
 やがてさり気無く前に回ってきた龍二郎の手が、兆しかけた怜の猛りをきつく握り込んだ。

「・・・あ、ぁう、ん、んんん・・・!」

 2本に増やされた龍二郎の指使いは更に激しさを増し、たまに全て抜かれて浅い部分を擦り上げられ、再びずるりと深く、抉るように指が挿し込まれる。
 それを性急つけて繰り返され、怜の思考がフィルムが感光するように、白く染まってゆく。

 混乱する意識をどこに置いておけばよいのか、怜にはもう分からなかった。
 為す術もなく、怜は小刻みに震える手できつくシーツを掴んで、引いた。