第13話
「・・・おい、怜 ―― 怜」
幾度か呼びかけられた末、怜はゆっくりと目を開ける。
途端に視界を焼いた朝の光に、再び目を細めた怜を、龍二郎が覗き込む。
「大丈夫か」
と、龍二郎が言った。
「・・・ああ、うん・・・」
と、怜はベッドにうつ伏せたまま、ぼんやりと頷いた。
1度しかしていないはずなのに、身体は手足の指の先まで、限界を越えて行為を重ねた後のように重かった。
身体の中心が未だ龍二郎に穿たれているような気すらして、怜はシーツの陰で密かに肌を粟立たせる。
「 ―― 俺は仕事だからもう行くけどさ、お前、今日出掛ける予定あるのか?」
そんな怜を見下ろして、龍二郎が訊いた。
三揃えのスーツの上着だけを着ていない状態の龍二郎は、口調から態度まで、普段と何ら変わりがないように見える。
それが何だか酷く ―― 悔しいような、切ないような複雑な気が、怜はした。
「ええと・・・、今日は2時から登録会があるから出掛けるけど。
・・・どうして?」
内心のごちゃごちゃしたものを押し殺して龍二郎を見上げ、怜が訊き返す。
「いや、別に。それならいいんだ」
と、龍二郎は言った。そして手にしていた上着を着込む。
「俺はどうせ早くても夜は10時過ぎないと帰れねぇし」
「・・・何の話?」、と怜が首を傾げる。
「今日はなるべく早く帰るって話だ」、と龍二郎がにやりと笑う、「まだ全然、やり足りねぇ」
当然のように口にされた言葉の意味を怜が理解するのに、数秒の時間を要した。
そして言葉の意味を理解した瞬間、怜の頬にさっと血が昇る。
「・・・っ、なにそれ、そんな・・・、ちょっと、龍二郎さん、待っ・・・ ―― !」
反射的に身体を起こしかけた怜に有無を言わせない、という勢いで覆い被さった龍二郎が、その唇を奪った。
すぐに歯列を割って潜り込んできた舌に、おもうさま口内を蹂躙される。
まるで行為の前戯であるかのような、それはそんな口付けだった。
未だ体内に色濃く昨夜の余韻を残していた怜の呼吸が、瞬く間に乱れ出す。
「 ―― じゃあな。行ってくる」
怜の下唇を甘噛みしたまま、龍二郎が言った。
その距離で龍二郎の視線に射抜かれた怜は、小さく頷くのがやっとで、何も言えない。
無言で身体を起こし、寝室を出てゆく龍二郎の背中を見送った怜は、玄関の扉が開閉してロックが下ろされる音を聞いたところで、
「・・・行ってきますのキス、とかじゃ絶対ないって、今の・・・」
と、ひとりごち、ぱたりとその身をベッドに沈ませた。
“まだ全然、やり足りない”、と龍二郎は言った。
その宣戦布告とも言えるような言葉通り、それからの日々、龍二郎は帰ってくる度、次の日の午前中いっぱい怜の身体が使いものにならなくなるようなやり方で、怜を抱いた。
決して乱暴なわけではなく、やたらと回数が多いわけでもないのだが、とにかくそれは濃厚に濃厚を重ねたような、執拗な抱き方であった。
「・・・今日はもう無理だから、本当に」
まだ呼吸すら整っていない内に再度引き寄せられ、身体の下に引き込まれそうになった怜が、慌てて龍二郎の手から逃れて言う。
「俺より一回り以上も若いくせに情けねぇことを言うな、まだ1度だけだろうが」
「年齢は関係ない・・・って、やめろってば!」
「・・・なんで」
怜の声に明らかな真剣さがあるのを察した龍二郎が、面白くなさそうに訊く。
「明日の10時から最終面接があるんだよ。初めて二次面接まで通った」
肌を這いかかった手が離れてゆくのを知ってほっとしながら、怜が答える。
「・・・もういいんじゃねぇの、そういうの」、と龍二郎が言った。
「いいって、何が?」、と怜が言った。
「こうなったからには、お前のことはきっちり面倒みてやるしさ。無理して働くこたぁねぇ」、と龍二郎は言う。
「・・・それとこれとは、話が違うよ」、と怜は言う。
「違わねぇだろ」
再びさり気無く伸ばした手で怜の肩胛骨の間の窪みの深さを測るようにしながら、龍二郎が言った。
「全然ちが・・・っ、ちょっと、やだ、って・・・」
じわじわと下りてきた手に後孔をすっと撫でられて、怜がびくりと身体を震わせる。
「つべこべ言わずにもう一度抱かせろ。撫でる程度にしてやるから」
強引に怜を身体の下に組み敷きながら、龍二郎が言った。
「嘘だ、そんなの誰も信じな ―― っ、あ、ぁあ・・・!」
つい先ほどまで奥深く龍二郎自身をくわえ込まされていたそこは、否応もなく押し当てられた2本の指を飲み込んでゆく。
そして怜はそのまま抵抗虚しく、龍二郎が定めるところの“撫でる程度”に翻弄されたのだった。
関東地方の梅雨入りが発表されてから2週間ほどが経過したその日、龍二郎は久々に組事務所に顔を出した。
元々組事務所には1ヶ月に1回ほどしか顔を出していない龍二郎だったが、例の五木との一件でここ2ヶ月ばかり足が遠ざかっていたのだ。
まだギリギリ日が出ている時間立ったせいか、事務所には及川とその部下が数名いるだけだった。
「久しぶりだな、龍二郎」
挨拶に出向いた龍二郎の顔を見て、及川が言った。
その両手には何故か、山ほどの雑誌が抱えられている。
「ええ、ちょっと色々忙しくしてまして。
・・・ところで及川さん、何をやってるんです?」
「溜まった古雑誌をちょっと整理しようと思ったんだが、いつの間にか大掃除みたいになりつつあるところだ」
どさり、と手にした雑誌を会議用の長机の上に置いて、及川が説明する。
それを聞いて、龍二郎は小さく笑った。
「・・・そんなの、誰かにやらせればいいでしょうに」
「雑誌のいるいらないは俺にしか分からないからな。
しかし元気そうで ―― 落ち着いているみたいで良かった。・・・心配してたんだ、少し」
1冊1冊、雑誌を点検する動作を繰り返しながら、及川が言った。
「ああ・・・そうですね ―― まぁ、あの件は俺の管理不行き届きだったって話ですから」
手近な椅子を引き寄せて腰を下ろし、懐から取り出した煙草に火をつけながら龍二郎はさらりと言った。
無理をしているというのではなく、本当に何気ない口調で答えた龍二郎を視線だけ動かして見て、及川が静かに首を横に振る。
そして龍二郎にだけようやく聞こえる程度の抑えた声で、
「 ―― 心ある奴は誰も、そんな風には思っていない」
と、言った。