Two Moon Junction

第14話

―― 心ある奴は誰も、そんな風には思っていない ――

 その言葉を聞いた龍二郎は、手にした煙草の灰を落とすのも忘れて、及川を見ていた。

 まさか及川があの一件を、そんな風に見て、考えているとは思ってもみなかった。
 そして今の及川の言葉を聞くと、どうやらそう考えている人間は及川だけでなく、複数いるらしい ―― それもまた、龍二郎にとっては大きな驚きだった。

 沸き上がる衝撃と同時に龍二郎の脳裏には、怜が言った、
“本質を分かってくれて、真実を見ている人は、どこかにきっと、絶対にいる”
 という言葉が、鮮やかに蘇ってくる。
 あの夜の怜の、聞くものを慰撫するような静かな声音と、それが纏っていた雰囲気と共に。

 及川が黙って引き寄せた灰皿を龍二郎の方へ差し出してくれ、龍二郎は小さな笑みと共に礼を言い、手にした煙草を丁寧にそこへ押しつけて消した。
 龍二郎が口にした礼の言葉には、あらゆる意味が込められていた。
 もちろんそれを分かっている及川も小さく笑って首を横に振り、黙々と雑誌を選り分ける作業を続ける。

「 ―― ところで龍二郎、お前、なんかあったろう」
 少し後で、及川が言った。

 手にしたライターを指の間で回しながら考えごとをしていた龍二郎は、その問いかけに一拍の間を置いて顔を上げる。

「・・・どうしてです?」
「どうしてってお前、明らかに少し前とは全然違うぞ。雰囲気が見違えるほど、別人みたいに落ち着いてる」
「 ―― それは、誉めて下さっていると思っていいんですか?」
 と、龍二郎は笑いながら訊いた。
「もちろん、誉めてるんだよ」
 と、及川は真面目な顔で答えた。
「少し前までのお前には、なんて言うのかな、こう ―― もっと切羽詰まった感じがあった。ギリギリのところでようやく踏み留まってる、みたいな感じがさ・・・、これはいろんな意味でな」

「ああ・・・おっしゃっている意味は、分かる気がしますね。確かに、そうだったかもしれない」
 と、龍二郎は言った。
「そうだったかも、じゃない。そうだったんだよ」
 と、及川は言った。
「下っ端で終わっても構わないって言うのならともかく、抜き身の剣みたいな極道は今のご時世、もう絶対に流行らないからな。
 その点、お前みたいな頭の切れる極道は、これからどんどん必要とされてくると俺は思っていて ―― しかしついこの間までのお前は、ちょっと・・・、そう、ちょっとばっかし・・・」

「・・・“ギリギリ感”が消えなさすぎた、って訳ですね」
 言い淀んだ及川の言葉を継いで龍二郎が言い、唇の左端を上げるようにして笑った。
 及川も苦笑して肩をすくめ、まぁ、そんなところだ。と頷く。

 口の端に微笑の影を漂わせたまま、龍二郎は考える ―― はっきりとした自覚はないものの、自分が変わったとすれば、その変化の発端は怜の存在に因るところが大きいのだろう、と。

 今回のことだけではなく、最近龍二郎は日常生活をおくる上で物事の決定を下す場面(それは事の大小は問わないのだが)に於いて、無意識に怜の言葉や雰囲気を思い出すことがたびたびあった。

 怜はいつも、どんな時でも、難しい言葉でものを言うことは決してなかった。
 怜が選び取る言葉はいつも、簡素で純朴で、率直な言葉ばかりだった。
 だがそんな怜の言葉や態度、雰囲気には何か、どこか、龍二郎の琴線を的確に震わせ、揺さぶるものが確かにあった。

 未だ怜には完全に掴みきれないところが多々あるが ―― いや、だからこそ怜に興味を惹かれてやまない自分自身を、龍二郎はもうはっきりと自覚していた。

 むろんその吸引力には、龍二郎と妙に相性のいい(というのだろう)怜の身体に因る部分も、多分にあることは否めないだろう。
 怜の人間性同様、その身体は幾度抱いても、どんなに回数を重ねても、新鮮味や興味が全く失われてゆかないのだ。

 遊びまくっていたとまでは言わないが、それなりにあれこれと遊んでいた龍二郎にとってそれは、初めての経験であった。

「 ―― なんだよ、女か」
 そんな龍二郎の表情を見た及川が、にやりと笑って言った。
「・・・当たらずしも遠からず、ってところですかね」
 及川に倣うような笑みを浮かべて、龍二郎は言った。

 そしてそう言いながら、及川が積み重ねていった雑誌をあれこれ、手持ちぶさたに見ていた龍二郎はその中の雑誌の、付箋を挟み込まれたページを何気なく開き ―― その内容を目にした瞬間、表情を凍りつかせる。

 そのページに掲載されていた写真のいくつかに、怜が、いた。

 それは今から3年ほど前に刊行された、とある有名な経済雑誌のバック・ナンバーであった。

 むろんそこにいる怜も、その分若い。幼い、と言ってもいいかもしれない。
 だがそれは紛れもなく怜であり、怜以外の何者でもなかった。

 雑誌の中で怜は立派なダイニング・セットを前に家族写真の片隅で微笑んだり、西洋風の広い庭で血統が良さそうな大きな犬と戯れたり、その特集ページで取り上げられている人物である父親とキャッチ・ボールをしたりしていた。

 こういった雑誌などにはよくある、著名人の家族を紹介するページだ。
 美しい、理想的な、家族の団らん風景の切り抜き。

 それだけを見るならば、何ら問題はない、だが、しかし・・・ ――――

「・・・及川さん。これ・・・」
 と、龍二郎が呟くのを受けて雑誌のページを覗き込んだ及川が、
「ああ、それか・・・敵方の中でも特に思い出したくない、嫌な男だよ」
 と、吐き捨てるような口調で言う。
「・・・敵・・・?」、と龍二郎が言う。
「そう ―― そいつは検察の上層部に籍を置く男だ。妻の父親は祖父の代から警察のキャリア組で、副総監まで上り詰めてる。
 いわば我々の敵の中枢、核を司る一家だと言っても過言じゃない。典型的かつ生粋の、警察・検察官僚一族のトップさ」
 及川は言って、さも嫌そうに、激しく、顔をしかめてみせた。