Two Moon Junction

第15話

 及川の説明を龍二郎はただ、黙って聞いていた。
 厳しい表情をして、及川は続ける。

「しかしその男の嫌なところは、官僚らしからぬ汚ない手を使うことなんだよ。正直、どっちがヤクザなんだと聞きたくなるくらいにな。
 うちの舎弟の下っ端を買収して内情をスパイさせようとしてみたり、一度なんか身内の警官をこっちに送り込んできたこともある。幸い早々に気付いて事なきを得たが、とにかく手段を選ばない、こすっからい奴なんだ」
「・・・それ、いつの話なんですか。俺はそんな話、全然知りませんが」
「ん、そうか?警官を潜り込ませてきた時にはもう、お前もうちにいた筈だが ―― と及川は小さく眉根を寄せて考えていたが、やがて思い当たったという風に爪の先で机を叩く ―― そうだ、あれは丁度、お前を若頭にするしないって内輪揉めが起こっていた時期だ。あの時はお前、本当に大変だったもんな」
「・・・ああ、なるほど・・・、で、これはその、息子ですか」
 怜の写真を指して、龍二郎は言った。

 そう言う声が乾ききってひび割れている自覚が、龍二郎にはあった。
 及川はそれに気付いているのかいないのか、特に気にする風なく頷く。

「ああ、そうだよ ―― それは末息子で、2人いる兄はそれぞれ、防衛庁と警視庁の上層部にいる。
 そいつの名前はなんて言ったかな・・・、忘れたが、まぁ何にせよ典型的な二世だよな。虫も殺さないって顔をしているが、結局そいつも上の2人の息子同様、辿る道は父親と同じだ」
「・・・そうなんですか」
「そりゃあそうさ。特にそいつは出来がいいってことで父親の一番のお気に入りだと専らの噂だったし、その雑誌が出た頃に父親と同じ国立T大の経済学部に合格したって聞いた。それだけでなく、中高生の頃から父親と政治家や官僚が集まるパーティーや会合に散々顔を出して、きっちりとコネクションを作ってたしな。
 そんなのの行く末は、目を閉じてたって分かるってもんだろう」
「・・・確かにそれは、そうですね、・・・ところで及川さん、これ、捨てるんですか」

 父親とキャッチ・ボールをする怜の写真を凝視しながら、龍二郎は訊いた。
「ああ、雑誌なんかなくても、そいつの顔は忘れようがないからな ―― どうした、なんかあるのか?」
「いえ、別に。ただ、俺も覚えておいて損はないでしょうし・・・持って帰ってもいいですか」
「もう捨てようと思ってたものだし、構わないよ。好きにしろ」
 何冊かの必要な雑誌だけを手に立ち上がりながら及川は言い、部屋を出てゆく。

 龍二郎はそれからしばらく、開いた雑誌の中で微笑む怜を見ていたが ―― やがてきつく唇を引き結び、きっぱりとしたやり方で、立ち上がった。

 龍二郎がマンションに帰ってみると、そこに怜の姿はなかった。
 怜は昨日、今日は何も用事がないので出掛けないと言っていたはずだった。

 むろんだからと言って、それに関してどうこう言えるものではない。

 未だ就職を探し続けている怜に、そちらの関係で急遽連絡が入った可能性もある。
 いや、もちろん、用事など何もなくても構わないのだ。
 暇に任せてちょっと出かけようと考えを変えることもあるだろうし、龍二郎としても、怜をここへ縛り付けておくつもりは毛頭なかった。
 だが今日の及川の話や、雑誌の内容 ―― そこには怜に関して、及川の予測を裏付けるような文章が多々あった ―― を見聞きした直後では、そんな当たり前のことですら、上手く心に添わせてゆけない。

 怜自身からきちんと話を聞くまでは、なにごとをも決めつけるべきではない。
 全ては怜の説明を聞いてからでなければ、判断出来ない。

 そう必死で、何度も、自分に言い聞かせてみる龍二郎だった。
 しかしこれまでに起こった事件や問題の中で培われてきた警察や検察の理不尽なやり方に対する不信感が、それを激しく阻む。

 虚しさと、怒りにも似た失望がこみ上げてくるのを止められず、龍二郎が血が滲むほどに拳を握った、その時。
 玄関で小さな音がして足音が近付き、怜がリビングに入ってきた。

「 ―― あれ、龍二郎さん、帰ってたんだ。なんだか今日は随分早くない?まだ7時前なのに」
 と、怜が言った。

 龍二郎はリビングのドアに背を向けた状態で座ったまま口を開かず、動くこともしなかった。

 最初は龍二郎のそんな様子に気付かず、手に提げたビニール袋の中のものを冷蔵庫にしまいかけた怜だった。
 だがやがて部屋に流れる奇妙な空気に気付き、その表情が不思議そうな、伺うようなものになる。

 何度呼びかけてみても返事をしない龍二郎を訝しく思った怜は片付けの手を止めて冷蔵庫の扉を閉め、リビングのソファに腰掛ける龍二郎へと足を向ける。

「・・・龍二郎さん、どうかした?何か・・・ ―― 」

 と、訊きながら龍二郎の肩に手をのばしかけた怜の視線が、龍二郎の前、ガラス・テーブルの上に開いて置かれた雑誌を捉える。

 その瞬間、怜の全ての動きが止まった。

 凍ったようになった怜を、ゆっくりと首を巡らせて、龍二郎が見上げる。

 そして言う、「これについて、説明出来るものならしてみろ」

 龍二郎の厳しい声を聞いた怜の顔色が、一気に失われてゆく。
 その唇の色すら、青白く変色してゆくのを見て、龍二郎は笑う。
 笑いたくなどなかったが、笑うしかなかった。

 龍二郎は静かに立ち上がる。
 しかし怜の視線はガラス・テーブル上の雑誌に留まったまま、龍二郎を見なかった。

「俺に近付いて、何を知りたかった?教えられるところまでなら、教えてやるぜ ―― お前だって、このまま手ぶらで父親のところに帰るわけにはいかねぇんだろ」

 龍二郎が言い、そこで怜の視線がそろそろと動いて龍二郎を見上げた。

 だが、それだけだった。

 怜は何も言わず、その目には表情と呼べるものは何も浮かんでおらず、呼吸すらしていないように見えた。

 再び、龍二郎は笑う ―― 果たしてそれが笑いに見えるものになっているかどうかは分からなかったが、一応笑う時に使うであろうと思しき筋肉を、動かしてみる。

「お前らは目的の為なら ―― 情報を得るためなら、何でもやるのか。男の身空で、極道に身体を差し出してまで?
 実に全く、えらいもんだよな・・・、なぁ、ところでこれは純粋な興味で訊くんだけどさ、ああいうのは父親の指示によるものなのか?それとも自分の判断なのか?」

 殊更に挑発するような、嘲笑するような言い方で、龍二郎は言った。
 それでも怜はやはり、何も言わなかった。

「 ―― 出て行け」

 流れる沈黙に耐えられなくなった龍二郎が、永久氷河をちりばめたような声音で言い放つ。

 その声を聞いた怜の瞳の奥が、小さく震えたように見えた。
 だが怜はすぐにその目を伏せ、静かに身体の向きを変え、リビングを出てゆく。

 遠くでどこかの戸棚が開閉する音がし、次いで玄関の扉が開閉する音がし ―― その後を、完璧な沈黙が引き継いだ。

「・・・何の言い訳もなしかよ、畜生・・・」

 龍二郎は小さく呟き、再び荒々しくソファにその身体を沈めた。