第18話
「彼の接客の仕方に問題があったことは、ご存じでしたよね」
静かに龍二郎が問うと、小宮山は弾かれたように伏せていた目を上げる。
その双眸には再び、警戒するような光がたゆっていた。
「 ―― なぜ、それを?」
と、小宮山は訊いた。
「彼が客に怪我を負わされた件は当然ご存じかと思いますが、あれは私の担当地区内で起こったことでしてね」
と、龍二郎は説明した。
そんなざっくりとした説明では小宮山が納得しないことを、龍二郎も分かってはいた。
だが怜との特殊な関係を、そうおいそれと他人に話す気にはなれなかった。
小宮山はしばらくの間、何か逡巡する様子をみせていたが、ここまで話したからには今更隠し立てをしても仕方がないと思い極めたのだろう。
きっぱりと顔を上げ、真っ直ぐに、挑むような目で龍二郎を見据えた。
「怜が何故私の元へやってきて、ホストなどをやろうと思ったのか ―― あの子の接客の仕方を見ていれば一目瞭然でした。
あの子は自分が必死で求めて得られなかったものを他人に与えることで、自らをも癒していた。それがどんなに危険を孕んだ行為であるか、私が分からなかったと思いますか?もちろん分かっておりました。とても見ていられず、怜の家に連絡をしようとすら思いましたが ―― 調べてみるとなんとあの子は、英国へ長期留学に出ていることになっていたのです」
「長期留学?」
「そうです ―― と言って小宮山は顔の下半分をぐしゃりと歪めるようにして笑った ―― 一族の定めたレールから脱落したあの子は役に立たないものと判断され、親にすら見捨てられていたのです。そんな状況で無理に怜を止めれば、あの子は本当に、取り返しのつかない所まで壊れてしまう気がして、私は・・・、見守ることしか出来なかった、止められなかった。どうしても・・・」
微かに震えを帯びながら続いてゆく小宮山の話を聞きながら、龍二郎はこの数ヶ月の間に怜が口にした言葉のひとつひとつを思い返していた。
怜の言葉が逐一胸に響いたのは、自然の摂理のように至極当然のことだった。
その言葉には全て、重い ―― ある意味重すぎる ―― しっかりとした裏打ちがあったのだから。
初めて寝た夜、怜が言った言葉 ―― “本質を分かってくれて、真実を見ている人は、どこかにきっと、絶対にいる”・・・ ―― 。
あの言葉を怜は一体、どんな気持ちで口にしていたのか。
想像してみただけで、龍二郎は堪らなくなる。
小宮山が言ったところの、滑稽さすら漂うほど必死だった怜の努力は結局、誰にも見られず、認められず、ほんの少しも報われはしなかったというのに。
そうかと言って怜のあの言葉が単なる夢語りであったとは、龍二郎には思えなかった。
明らかに怜は心の底から、そう信じていたのだ ―― 精神の均衡を失うまで追いつめられてもなお、いつか誰かが分かってくれるのではないか、見てくれるのではないか、と。
それを育ちの良さが生む甘さであると言ってしまえばそれまでだったが、それだけで終わらせてしまうには余りにひたむきに過ぎた。
「 ―― 佐伯さん」
考え込む龍二郎を観察するように眺めていた小宮山が、ふいに龍二郎を呼んだ。
反射的に顔を上げた龍二郎に、小宮山はテーブルに額がつくほどに深く、頭を下げる。
「“これは極道の世界とは関係のない話だ”というお言葉と、あなた自身を信じているからこそ、こうしてお願いいたします」
頭を下げたまま、小宮山は言った。
「どうか怜を、そっとしておいてやってくださいませんか ―― あの子は・・・怜は今、人生の岐路とも言えるところにいると思うのです」
「人生の岐路?」、と龍二郎は繰り返す。
「はい」、と小宮山は言って顔を上げる、「実は少し前に、怜はここへ来たのです」
「それはいつの話ですか」、と龍二郎は訊いた。
「ひと月ほど前の話です」、と小宮山は答えた。
ひと月、と龍二郎が呟き、小宮山は頷いて続ける。
「そのときに怜は、求めていたものを ―― 自分の居場所を、やっと見つけられた気がする、と言っておりました」
「・・・自分の居場所・・・」
「ええ。自分の居場所が欲しいというのは、怜の口癖のようなものでした。それは単純に住む場所という意味ではなく、ありのままの自分を受け入れてくれる存在や場所が欲しいという意味であることはもちろん、分かりました。
私の家に来てもいいと言ってやったこともありますし、それだけでなく、怜には面倒を見てあげると言い寄る客が何人もおりました。しかし怜はこれまで、そういう誘いに一切応じることはなかった。つまり自分を受け入れてくれる場所であればどこでもいいという訳ではなかったのでしょう。
そういう点では怜なりにきちんと線引きしているようだったので、これまで静観していた部分もあったのですが ―― そんなあの子がこの人ならと思う相手を見つけたのであれば、それは今後の怜の人生を左右すると思うのです。ですから、・・・」
そう言った小宮山は、縋るような目で龍二郎を見た。
これまで何があろうと毅然とした態度を崩さなかった小宮山のそれは、初めて見せる姿だった。
「ひとつだけ、教えて下さい」、と龍二郎は言った、「彼が最後にここへ来た正確な日付を、覚えていらっしゃいますか」
「・・・それを言えば怜から手を引くと、約束してくださいますか」、と小宮山は言った。
龍二郎が頷くのを見た小宮山は、小さく息をついてから口を開く。
「 ―― 先月の最終日、30日です。出入り業者への支払い日でしたから、間違いありません」
それは龍二郎が怜をマンションから追い出した、2日前のことだった。
「組事務所へ戻れ」
“ファラオ”の裏口から少し離れた場所に停められたメルセデスの後部座席に乗り込んだ龍二郎は、運転席にいた安藤に命じた。
はい。と頷いた安藤が、流れるような動作でキーを回してエンジンをかける。
「それと以前頼んでいた人探しの件だが、あれはもうやめていい」
軽やかなエンジン音を聞きながら、龍二郎は言った。
分かりました。と再び頷いて、安藤は車を発進させる。
怜のことは忘れようと、龍二郎は思っていた。
それは小宮山との約束のせいだけでなく、今日の話の聞いた上での判断だった。
唯一無二の自分の居場所を求める怜の気持ちを、むろん龍二郎はリアルに想像することが出来た。
怜が自分とまるで同じことを考えていたというのは驚きであったが、同じ思考を持っていたからこそ、分かることもある。
これまでにいくつのも団体を渡り歩いていたなかで、“これはもう駄目だ”と見切りをつけた場所に再度戻るかと考えたとき、答えは悩むまでもない。
何を言われようと、どう言われようと、一度見切りをつけた場所に戻りはしない ―― 絶対に。
自分のした過ちが取り返しのつかないものであったことを、龍二郎は誰よりも知っていた。
やるせない後悔に苛まれながら、龍二郎は車窓の外へ視線をやる。
忘れようと、忘れなければという決心は絶対なのに、後方へと流れてゆく景色の中に怜の姿を探してしまう ―― これまで経験のないそんな自分の思いきりの悪さに、龍二郎は苦々しい笑いを漏らした。