第22話
「・・・この2ヶ月、どうしてた?」
マンションに戻り、慌ただしく、しかし濃厚に抱き合ってから、龍二郎が訊いた。
「長野・・・」
行為の余韻から抜けきらないぼんやりとした声で、怜が答えた。
「長野にいた・・・、殆ど」
「長野だって?」、と驚いて龍二郎は訊き返す、「なんでまた、長野?」
「高校生の頃に通ってた塾の先生が、長野の千曲市で自分の教室を開いてて」、と怜は説明する、「挨拶に行って、ちょっとした手伝いをしたりしてた」
「・・・塾の講師、ねぇ・・・」
自分とは全く、縁もゆかりもない職業だな。と龍二郎は思う。
そもそも龍二郎は勉強など大嫌いだったし、それを率先してやらせようとする“教師”(講師も同じようなものだ)という存在がこの世で一番と断言しても差し支えないほど苦手であり、嫌いだった。
そして長野などに行かれていたのでは、どんなに行方を探させようと見つからないのも道理だ、とも思っていた。
「元々は都内の有名な学習塾の、超がつくほどの人気講師だった人なんだ。
でも進学塾の詰め込みみたいなやり方が好きになれなくて、もっとのんびりした所で勉強することが好きな子を育てたいって、自分の生まれ故郷に戻って学習塾を開いたんだって」
「・・・・・・。」
「俺の家庭の事情みたいなものも察して、心配してくれて ―― 実際に教わったのは1年にも満たないくらいの期間だったのに、その後も事あるごとに連絡をくれた。俺は自分のことで手一杯で、ほとんどろくに返事なんか出来てなかったのに」
「・・・ふぅん、・・・」
「龍二郎さんにもう一度、きちんと会いに行った方がいいって言ってくれたのも、先生なんだよ」
「・・・へぇ、 ―― って、は?なんだそれ?」
“勉強することが好きな子を育てたい”などという厄介な思考の持ち主には全く興味を引かれなかったため、龍二郎は怜の話を適当に聞き流していたのだが ―― 思いがけなく話が自分とリンクしたのに驚き、首を回して怜を見る。
「それまでのことを池上先生に ―― 池上嗣(いけがみみつぐ)って名前の先生なんだけど、話していたら、当然龍二郎さんの話になって。
で、何の説明もせずに逃げてきたなら、もう一度きちんと話をしに行くべきだって・・・結果がどうなるにせよ、努力しきらないで終わらせると後々絶対に後悔するぞって」
「・・・その割にはお前、全力で逃げてたじゃねぇか」
「だってそれは・・・、龍二郎さんってば、心構えし切れないうちに予告もなく声をかけてくるんだもん、びっくりしたんだよ・・・。
とにかく池上先生、もし上手く仲直り出来たら、龍二郎さんと是非会ってみたいって言ってたよ」
「・・・冗談だろ」
起こしかけていた身体を再びベッドに沈めながら顔をしかめ、龍二郎は言った。
「え、どうして?」
首を傾げて、怜は言った。
「・・・どうしてもこうしてもねぇよ、そんなの当然だろ」
「何で?長野、お蕎麦とか美味しかったよ?」
「・・・あのな、蕎麦が美味いとか不味いとかいう問題じゃねぇんだよ。塾の講師なんてかったい仕事してる人間に俺なんか紹介してみろ、びっくりしてひっくり返られるぞ。悪くすりゃ絶縁もんだ」
「そんなことないよ」、と怜は言った。
「・・・どうしてそう言い切れるんだよ」、と龍二郎は言った。
「だってもう全部話してあるし」、と怜は言った。
「話した?」、と龍二郎はオウム返しに繰り返す、「話した、って・・・何を?」
「龍二郎さんのことだよ、もちろん」
当然だろうというような口調で、怜は答えた。
「池上先生に話したときは、龍二郎さんとはもう二度と会えないって思ってたから、最初のところから全部正直に話したんだ」
「・・・そりゃあお前・・・ ―― 相手、すげぇ驚いてたろ」
と、龍二郎は半ば呆れながら言った。
「うーん、そうだなぁ・・・、まぁ、最初はずいぶん驚いていたみたいだけど」
と、怜はのほほんとした口調で言った。
そりゃあそうだろうよ、と龍二郎は思う。
怜が“全部話した”と言うからには、余計な誤魔化しや嘘などはつかず、包み隠さず全てを話したに違いない。
先行きを心配していた教え子が男と付き合っているというだけでも驚きだろうに、その相手が極道だというのだ。
全く驚かなかったという方が驚く。
「でも最後はちゃんと理解してくれたよ。俺が信用出来ると思うのなら、それが一番大事だって。
だから会いに行っても問題ないと思うし、今度行こうよ」
「・・・まぁ、そんな機会があったらな」
と、龍二郎は言ったが、もちろん池上なんとやらに会いに行く気など、さらさらなかった。
繰り返しになるが元来教職者というのが大嫌いで、学校を卒業して彼らと関わらないで良くなった時には、祝杯をあげたくなったほどの龍二郎なのだ。
それに加え、息詰まるような厳しいジャッジの目に晒されることが初めから分かっている場所に、のこのこと出掛けてゆく馬鹿はいない。
「・・・あのさぁ、龍二郎さんさぁ・・・」
龍二郎の返答に全く熱意がないことを鋭く察し、うろんな視線を送ってくる怜を、龍二郎は強引に引き寄せる。
そしてしっとりと汗に濡れた怜の二の腕から肩先、首筋から背中、腰に至るラインを掌でゆっくりと、何度も撫で回す。
最初のうちは、
ちょっと、本当に行く気ある?、だの、
全然そんな気、ないんだろ?、だの、
だったら適当な返事するのはやめれば?、だの、
そもそも初めからシャワー浴びたいって言ってたのも、聞いてないだろ?、だの、
ぶつぶつと文句を言っていた怜の頬が龍二郎の執拗な愛撫によって、上気してゆくのが分かった。
うっとりとした視線で見上げてくる怜の唇を軽く奪ってから、龍二郎は身体を起こす。
「シャワーってのはちゃんと覚えてるぜ、余裕がなかっただけでな。
お詫びにきっちりシャワー浴びさせてやるから、来いよ」
にやりと笑って言う龍二郎が何を考えているのか、一目瞭然だったのだろう。
苦笑しながらも身体を起こした怜だったが、ベッドから降りる際にゆらりと身体をよろめかせた。
「 ―― 今日は何を言われても手加減する気ねぇけど、お前、今からそんなんで大丈夫なのかよ?」
素早く伸ばした手でよろめいた怜の身体を支えた龍二郎は、言った。
「・・・なんか怖いから、そういうこと言わないでくれる?」
差し出された腕に縋り付くようにしながらそう言って、怜は龍二郎を力なく睨んだ。