Two Moon Junction

第3話

 2時間弱の仮眠を取ってから、龍二郎はまだ眠っている怜の枕元にメモ書きを置き ―― 後で食事を部下に運ばせてやる、とにかく今日はおとなしく本でも読みながら寝ていろ、等々 ―― 部屋を出た。

 だが龍二郎は次に自分がここへ帰ってくるまでに、怜がいなくなっている可能性も大いに有り得ると考えていた。

 やくざものになど極力関わりたくないと考えるのが、一般人の常である。
 それは嫌と言うほど分かっていたし、今更そんな事で気分を害したりもしない。いちいち気に病んでいても疲れるだけだ。
 本人にも言ったとおり気まぐれで助けてやっただけで、見返りを求めていた訳ではない。
 もう大丈夫だと本人が判断して出ていくのなら、それはそれで一向に構わなかった。

 しかし予想に反して、その日の午後10時過ぎにマンションに戻ってみると、そこにはまだ怜の気配があった。
 新橋にもう一度治療に来てくれるようにと依頼の電話をかけてから、龍二郎は怜のいる部屋のドアをノックする。

「あ、お帰りなさい」
 龍二郎の姿を見た怜は、柔らかい微笑みと共に言った。
「・・・んん ―― 、具合は?」
 やはり言われ慣れない、聞き慣れない単語に答えを見失った龍二郎は曖昧に返事をしてから、聞いた。
「お昼頃に傷が痛んで来たので、頂いた痛み止めを飲みました。今は大丈夫です」
「ふぅん、・・・食事は?」
「お昼前に安藤さんが持ってきてくれたものを頂きました。すみません、何から何まで」
「それはもういいよ。もうすぐ新橋 ―― 昨日の医者だが、彼が来るから傷を見てもらえ。
 今日は一日、何をしてた?」
「テレビを見たり、音楽を聴いたりしていました。立派なオーディオ・セットがあったので。
 言われたとおり本でも読もうかと思ったんですけど、プロレス雑誌しかなくて・・・」
「ああ、そういやそうだな。苦手なのか、プロレス」
「ええっと、そうですね・・・、あまり得意な分野ではない、ですね・・・怖いし・・・」
「怖いこたぁねぇだろう、見てるだけなのに」
「え、見ているだけでも怖いですよ。
 何の怨みもない人を、どうしてあんなに殴ったり蹴ったり出来るんでしょうか、あの方たちは」
「・・・いや、そういう競技だしさ」

 などなどと、取り留めもない会話を交わしている所に新橋がやって来たので、後を頼んで龍二郎はバスルームに向かった。
 ざっとシャワーを浴びて戻ってみると、新橋は既に帰った後だった。
 あっさりと帰ってしまうと言うことは傷の具合は悪くなかったのだろうとは思ったが、龍二郎は一応再度怜のいる寝室を覗き込む。

「明日は学会があるとかで、新橋先生は帰られました。佐伯さんに宜しくとおっしゃっていました」

 上半身を起こそうとしたのを龍二郎に止められた為、ベッド中央部に寝たまま怜は言った。

「ふぅん ―― 傷の具合は問題ないって?」
「はい、2、3日後にまた来て下さるとのことでしたが、・・・あの、本当に俺、ここにいていいんでしょうか?」
 と、怜が聞いた。
「いいんでしょうかってお前、いいも悪いも、行くとこないって怪我人を今更追い出せねぇだろうが。
 お前を連れてきたのは俺だし、仕事が出来るようになるまではいたきゃいろよ」
「すみません、本当に」
 申し訳なさそうな表情と共に、怜は言った。
「謝んのはもういいって」
 小さく欠伸をしながら、龍二郎は言った。

 昨日殆ど眠れなかったので、ひどく眠かった。
 1度目の欠伸が終わるか終わらないかのうちに、再度欠伸がこみ上げて来る。
 もう今日は寝てしまおうと無言で立ち去ろうとした龍二郎を、昨日と同様に怜が呼び止める。

「あのー、佐伯さん」
「・・・あぁ?」
「昨日は気付かなかったんですけれど、ここってワンルームだったんですね」
「・・・そうだが、それがなに?」
「昨日って、ソファで眠られたんですか?」
「・・・だから?」
「そんなの悪いです、俺がソファの方で寝ます」
「あのなぁ、怪我してる奴をソファなんかに寝かせられるかよ」
 少しばかりイライラしてくるのを押し殺して(本当に眠かったのだ)、龍二郎は言う。
「今更変な遠慮はすんな。いいからお前はそこで眠っとけ、俺は別にどこででも眠れるんだ」
「そういう問題じゃ ―― って、ああそうだ、じゃあここで寝ればいいじゃないですか。このベッド、随分広いし」

 いかにも名案が閃いた、という風に怜が言い ―― 思いもかけないその声に唖然とする龍二郎を尻目に、怜は布団の中でごそごそとベッドの右端に移動した。

「・・・俺は男と寝る趣味はねぇよ」
 と、龍二郎は言った。
「え? ―― ああ、それは安心して下さい、俺にもそういう趣味はありません」
 にこやかに爽やかに、怜は断言した。
 そして続けて、
「それに万一俺にそういう趣味があったとしても、体格の差からして、佐伯さんが抵抗したら強行するのは無理でしょうし。だから、大丈夫ですよ」
 と、ベッドの左半分を指さした。

 頭が芯からぐらつく感覚を、龍二郎は覚えた。
 一体どこの世界に、極道と枕を並べて眠ろうと提案する男がいるだろう?
 いや、実際に目の前にいる訳だが、それを目の当たりにしてもまだ信じられない。

 頭がどうかしているんじゃないかという思いを禁じ得ないが、葛原怜という名の青年に対して龍二郎はどちらかというと非常に聡明そうだという印象を抱いていた。
 何か事情があってホストなどをしているものの、普通以上にきちんとした教養を受けた人間だろう、と。

 だからこそ、その真逆とも言えるかけ離れたギャップに戸惑わされるのだ。

「どうしたんですか?まさか貞操の危機を感じてます?」
 と、怜は笑ったまま言った。
「・・・、いや・・・それはねぇけど」
 と、龍二郎は混乱したまま言った。

 それなら問題ないじゃないですか。と怜は言い ―― 龍二郎はそれ以上の押し問答を続ける気が失せてくる。
 他人と一緒に寝るのは好きではないのだが(女とも行為が終われば即帰りたくなる龍二郎だった)、今はそういうことを説明するのも面倒だった。

 こいつが眠ったら適当に抜け出せばいいか、と考えた龍二郎は無言でベッドへ向かい、空けられた左半分に乱暴に身体を沈める。

 おやすみなさい、と暗闇の中から、怜が言った。
 龍二郎は答えなかったが、怜はそれは特に気にならないようだった。

 基本的に他人を変わった人間だと言ったり思ったりするのが嫌いだったが ―― 変わっている人間からしてみれば、逆もまた変わっていることになるのだから ―― こいつは間違いなく変わっているとしか言いようがねぇな。と、龍二郎は思った。