Two Moon Junction

第6話

 龍二郎が漏らした笑いは飽くまでもこの場にはいない小宮山に対するものであり、それ以外へのものでは決してなかった。
 だがタイミング悪く龍二郎が笑った瞬間に顔を上げたアケミが ―― 恐らく自分が馬鹿にされたように感じたのだろう ―― 明らかにむっとした顔をする。

「・・・ねぇ、ところでレイ、さっき怪我をしたって ―― それってもしかして、この人のせいなの?」
 と言って、アケミは汚いものを見るような目で龍二郎を見た。
「なに、それ」
 と、怜は意味が分からないという風に眉根を寄せる。
 だがアケミは何を思ったか訳知り顔で頷き、更に強く怜の腕に縋った。
「そうなんでしょう、やっぱり・・・この人って・・・、明らかにヤバそうだもの。何か、脅されたりとかしてるんじゃないの?
 ねぇレイ、こんな人とは何があろうと絶対に関わらない方がいいわよ。こういう人種は人を人と思ってないし、利用するだけされて、とんでもない事になるのがオチだから」

 それら全てをアケミは怜の耳元で囁くように言ったが、未だに怜にスーツの裾を掴まれたままだった龍二郎の耳には、全てがはっきりと聞こえた。

 明らかに聞こえるように、聞こえても構わないと思って言っているのだ。
 龍二郎が堅気ではないと推察した上で言っているのだから、存外度胸があると龍二郎は面白く、ある意味アケミという女を見直しすらした、しかし・・・ ――――

「ヤバいって、何、それ。どういう意味」

 と、訊いた怜の声音が、一瞬にして辺りの空気を凍えさせた。

 怜の声からは唐突に柔らかな雰囲気が消え去り、変わってその雰囲気に厳しい糾弾の気配が満ちる。
 ゆっくりとした口調は一切変わらないだけに、その厳しさがやけに際だって聞こえた。

 怜のその化学反応的な変化は龍二郎をして、驚きを隠せずに怜の表情を確かめさせたほどだった。
 アケミはそれ以上何も言えず、ただおどおどと俯き、手にしたハンドバックの持ち手を捻っている。

「 ―― 佐伯さんは怪我をしていた俺を、助けてくれた人だ。何も知らないのに“こんな人”とか“ヤバい人”とか ―― そんなことを、よく言えるものだね」
「・・・わ、私は、レイを心配して・・・、・・・」
「心配しているからって、何を言ってもいいわけじゃないだろう。失礼だよ」
「で、でもでもっ、この人って、その筋の人だよね!?そうでしょ!?いかにもそんな感じだもの。こんな怖い人と一緒にいたら、絶対いつか・・・」
「怖いってなに。アケミさんは佐伯さんの何を知ってるんだ?
 そりゃあ見た目は怖いかもしれないけど、優しい人なんだよ。俺のことも助けてくれたし、捨て猫を拾って里親を捜してあげたり ―― 」
「おいおいおいおい、ちょっと待て。猫って何だよ?」

 もうこれ以上黙っていられず、龍二郎は叫ぶように2人の会話に割って入る。
 怜は強い視線でそんな龍二郎を見上げ、
「誤魔化さなくてもいいよ、新橋先生に聞いたんだ。猫の治療までさせられたことがあるんだって、笑ってた」
 と、言った。

「・・・っ、あの馬鹿、余計なことを・・・」
 と、龍二郎は吐き捨てるように呟く。
「余計なことなんかじゃない」
 と、怜はきっぱりと言う。

「あのな、そんなのはもう忘れ果てたような、遙か遠い昔の話だ」
 と、龍二郎は遠くを指さすような動作と共に言う。
「それにあれはたまたま、仕方なく拾って、面倒だから他人にやっただけだ」
「うんそうだよね、よく分かってるよ。ただの気まぐれだって、俺にも言ってたもんね」
 と、怜が噛みつくような口調で言う。
「でもそういうことをさらっと出来る人を、優しいって言うんじゃないの?少なくとも俺はそう思う」
「いや、しかし ―― あれがもし他のところだったら・・・」
「他のところなんて知らないよ。俺にとっては、拾って助けてくれたのが佐伯さんだって、それだけが絶対的な真実なんだ。可能性なんて知らないし、そんなのどうでもいい」

 きっぱりと怜が言い切り、龍二郎は言い返す言葉を完全に見失う。
 そこで怜は龍二郎から視線を外し、アケミを見た。

 そして言う、「帰ってくれる」

 怜の声には一切の反論を許さないという、強い気配があった。
 しょんぼりと肩を落としてアケミが去ってゆき ―― 少ししてから、龍二郎は大きく息を吐く。

「ところでお前、何で泣いてんだよ」
「・・・泣いてない」
 と、怜は言った。
「涙目になってるようだが?」
 と、龍二郎は言った。

 怜は頑なに視線を龍二郎から逸らしたまま暫く黙っていたが、やがて、だって、あんな酷いこと・・・。と呟く。
 それを聞いて苦笑した龍二郎は、それから少しの間怜を眺め ―― 思い切るように口を開く。

「あのさ、お前、ホストはもうやめろ」
「・・・え?」
「俺は職業柄、いろいろなのを見てきてるけどな・・・、お前はホストとか、そういった類の接客業には向いてねぇ。
 本当はお前だって、それこそ、分かってるんじゃねぇの」

 龍二郎の指摘に心当たりがないわけでもないのだろう、怜は唇を噛んで俯いた。

「前に家はねぇとか言ってたけど、あれ、嘘だよな」
 と、龍二郎は言った。
 数瞬の躊躇いの後、怜は頷く。
「本当はあるんだよな、ちゃんとした家が」
 怜はまた頷く。
「家出みたいにして、出てきただけなんだろう」
 それにも、怜は頷く。
「戻れないのか、それ」
 と、龍二郎は訊いた。
 その問いに対して怜はそれまでとは違い、強くきっぱりと首を横に振った。

 それを見た龍二郎は、ため息をつく。
 そして手を上げ、後頭部の髪を荒々しくかき回した。

「ったく、しゃあねぇなぁ・・・、もういいよ。何か真っ当な仕事が見つかるまで、あそこにいろよ」
 と、龍二郎は言った。
「え、でも・・・」
 と、怜は驚いたように目を見開いて龍二郎を見た。
「でもって、他にどうするんだよ ―― 俺は元々、あのマンションにはたまにしか帰ってなかったし、適当に使えよ。
 あそこは色々な会社をかませてるから、極道の持ち物だってのも簡単には分からないようになってるし」
「もちろん助かるけど・・・、やっぱりそれ、余りにも悪い気が・・・」
 ぶつぶつと、怜が言った。
「悪いってところは、とっくに通り越してると思うぜ」
 とって投げるように、龍二郎は言った。
「まぁ、そんなに悪いと思うなら、時々帰って来たときにメシでも食わせろ。お前の料理、旨かったし」
「え、そうかな、本当?」
「お前にお世辞を言っても始まらねぇよ。
 俺はそもそも外食ってのが嫌いなんだけどさ、俺が囲ってる女どもがこぞって料理が下手でな・・・もう、洋食か和食か中華かも定かじゃないものを作りやがる」

 うんざりとした風に龍二郎が言うと、怜はそこでようやく、明るい声をあげて笑った。