第7話
「和食か洋食か中華かの判断も付かない料理って、それ、ある意味食べてみたいけど」
と、怜は笑いながら言った。
「付き合う前に、料理の提出を義務づけてみたら?」
「何だそりゃ、アルバイト雇うんじゃねぇんだしさ・・・ああそれと怜、お前、口調ももう、そのままでいいぜ」
「・・・え? ―― あ・・・、すみません」
先ほど激昂した時のまま、タメ口になっていたことにようやく気付いたのだろう。
怜は軽く口を押さえて、言った。
「あのな、そのままでいいって言ってんだろうが。それとついでに、佐伯さんってのもやめろ」
「はぁ・・・、ええと、じゃあ ―― 龍二郎さん?」
「さんってものいらねぇんだけどな」
「えー、呼び捨てはちょっと余りにも・・・、龍二郎さん、でまけてくれない?」
「まけるって、たたき売りかよ」
と、言って龍二郎はため息をつく。
どうしてこんなことになっているんだか、と龍二郎は思ったが ―― それは龍二郎自身が一番、よく分からないのだった。
分からないそのままに、龍二郎は再びため息をつく。
「 ―― ああもう、まぁいいや。ほら、とにかく帰っぞ」
内心の葛藤のまま少々乱暴気味にきびすを返した龍二郎は、“帰るぞ”という言葉を聞いた瞬間、怜の表情が切なげに、泣き出しそうに歪んだことを、気付かなかった。
その後も暫くの間、龍二郎は何となく ―― ある意味義務的に ―― 1、2週間に1度ほど怜と寝る度、例の“挑戦”を続けていた。 だがその結果は、見事なまでに黒星続きだった。
もういい加減諦めかけた頃に何気なくそれを言うと、11時過ぎに帰ってきた龍二郎の為に食事を温めなおしていた怜は驚いたように振り返り、
「挑戦って何それ、何に挑んで誰と戦ってるんだよ、意味が分からない」
と言って、呆れたという風に笑った。
「いや、しかし危機管理とかさ・・・、職業柄・・・」
と、龍二郎はリビングのテーブルについた片腕で顎を支えた状態で、ぶつぶつと言う。
「危機管理って、そもそもここは龍二郎さんの家なんだし・・・他で寝られないのにここでは寝られるなら、なにも悪いことないじゃないか」
と、怜は軽い口調で言いながら、尾を覆っていたアルミ・ホイルを外した金目鯛の煮付けを龍二郎の前に置いた。
「そんなに難しく考えないで、栄養補給ならぬ睡眠補給だとでも思っておけば?」
そういう問題じゃねぇんだよ。と龍二郎としては思わなくもなかったが ―― 怜に笑い飛ばされてみると、何だかもの凄くちっぽけなことで悩んでいたような気になるから不思議だった。
「・・・ところでお前が作る料理って、和食が多いよな。得意なのか?」
金目鯛の煮付け、小松菜と油揚げの煮浸し、根菜のきんぴら、豆腐の味噌汁・・・といったメニューが目の前に並べられてゆくのを眺めながら、龍二郎は話題を変える。
「あ、洋食の方が良かった?電話でお昼が焼き肉だったって言ってたから、夜はあっさりと魚の方がいいかなと思ったんだけど」
自分はもう既に食べたのだろう、ペットボトルの水を片手に龍二郎の前に座った怜が言った。
「いや、そういう意味じゃなくて、ちょっと訊いただけだけどさ。
和食は好きだよ、特にこういうのは ―― と龍二郎は目の前に並べられた料理を眺めやる ―― 普段、滅多に食えねぇし」
「そういえば龍二郎さん、外食嫌いだって言ってたもんね、外食は洋食っぽいのが多いし」
「味付けなんかも、えっらい濃いしな」
「そうだね、確かに・・・、薄味なのが好み?」
ペットボトルの蓋を開けながら、怜が訊いた。
「うーん、どうなんだろうな。ただ死んだ俺のおふくろが京都の人だったせいか、あんまりソースが濃いのとかは苦手だな、昔っから」
味噌汁を一口飲んで、龍二郎は答えた。
「・・・ふぅん・・・」、と怜は言う。
「お前は?出身どこ?」、と龍二郎が訊く。
「俺は・・・、俺は東京生まれの東京育ちだよ。料理の味付けなんかは完全に自己流だから、特にどこっていうのはないかな。
でもとにかく、食べたければ何でも一通りは作れるよ。フランス料理のフルコースとか言われても困るけど・・・」
と、言いかけた怜はそこで、つけられたテレビに映る格闘技の映像を、恐ろしげに見た。
そこにはロープ際に追い込まれた男の腹部に向かって、今まさに激しい回し蹴りを加えようとしている男が映し出されていた。
回し蹴りは綺麗に決まり、もんどりうって沈んだマットから必死に立ち上がろうとする男に、更なる激しい攻撃が加えられてゆく。
それを見た観客の歓声が最高潮に達し ―― と、そこで突然、テレビの映像が『湯けむり伊勢志摩・ぶらり周遊の旅』というのに切り替わった。
「・・・何をするんだ」、思い切り顔を顰めて、龍二郎が言った。
「だって・・・、食事時には余りにも不似合いだし、消化に悪そうだよ、あれ・・・」、リモコンを片手に、怜が言った。
「あのな、合う合わないは俺が決めることだし、消化なんて知ったこっちゃねぇんだよ。チャンネル戻せ」
「えー・・・、やだ」
「やだじゃねぇ。見たくねぇならお前は寝りゃあいいだろうが。リモコン寄越せって」
「だって、片付けがあるし。俺が片付けた後で見てよ」
「そしたら番組が終わるだろうが」
「・・・ちょうどいいじゃん」、小さな声で、怜が呟く。
「ふぅん、いい度胸してんな、お前」、にやりと笑って、龍二郎が立ち上がる。
それを見て飛び上がるように立ち上がった怜が、足早にリビングの方に逃げて行く。
「ワンルームで逃げても無駄だ、っつぅんだよ。観念してリモコン寄越せよ、怜」
笑いながら怜の背中に手を伸ばして、龍二郎が言う。
「いやだってば」
素早く身体をひねって龍二郎の手から逃れ、やはり笑いながら、怜が言う。
「お前な、そういうことしたらどうなるか、分かってんだろうな?」
「知らないよそんなの、って、ちょっと ―― こんな子供みたいなことやめろって・・・!」
「お前が逃げてんだろうが、そろそろマジで観念しろ」
と、言った龍二郎が、リビングのガラス・テーブルやらソファやらを盾に身をかわす怜の動きの先を読んで、その腕を掴む。
往生際悪く掴まれた腕を外そうと、激しく抗った怜の足がその時ふいに、もつれた。