Love Potion

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「佐伯に関することなら、どんな小さな情報でも構わない」

 何を知りたいのかと訊ねられて、慶は言った。

「以前は女関係からちょこちょこ情報が出て来ていたんだが、最近は何故かそれもなくなって、八方塞がりでな。  ああそうだ、お前、佐伯が最近親しくしている女の話とか、聞いてないか?」
「 ―― さぁ。知らない」
「そうか・・・佐伯は本当に隙がないんだ。しかも最近になって、更に身辺に気を遣っている節がある。だからこそ何かあるんじゃないかと思っているんだが ―― それはまぁいい。
 とにかく素人目からは些細なことでも、見方によっては組織を一網打尽に出来るきっかけになる可能性だってある。
 佐伯が誰とどこに行ったとか、話していたこととか、普段佐伯がどうしているとか・・・知っていることを、聞かせてくれ」

「・・・、そうだな、あの人はとにかく ―― とっても頭のいい人だよ」
 と、怜は言った。
「頭がいいってお前、あいつ中卒だぞ」
 と、慶はせせら笑った。

 そんな兄をちらりと見てから、怜は続ける。

「・・・でもあの人、多分5ヶ国語くらいは分かっていると思うよ。
 少し前、一緒に新宿を歩いてて、中国の人に話しかけられたことがあって ―― 」
「中国の人だって?名前は?」
 と、慶は怜の言葉を遮って訊いた。
「・・・言ってたかもしれないけど、忘れた」
 と、怜は答えた。
「そうか・・・まぁ、次からは気をつけて覚えておいてくれ。それでそれは、どんな奴だった?」
「どんな奴って・・・髪の長い人で、銀縁の眼鏡をかけてた」
「そいつ、左手のこの辺りに ―― と言って、慶は左手の小指から手首にかけての範囲を指し示した ―― 入れ墨がなかったか」
「ああ、あったかも」
「恐らく李芳遠(リ ファンイェン)だな・・・新宿の中国マフィアの大物だよ。話の内容は?何か計画があるとか、言っていなかったか」
「話の内容までは分からない、俺は中国の言葉はさっぱりだし。それに何か計画があるなら、俺なんかがいる時に話さないんじゃない。
 たまたま見かけて、やあ、って雰囲気だったよ」
「・・・うーん、・・・」
 と、慶は難しい顔をして、腕を組んだ。
 怜は構わず、テーブルに右腕の肘をついて、続ける。
「さっきも言ったけど、龍二郎さんは俺が知っているだけでも5ヶ国の言葉を分かってると思う。中国の言葉をいくつか・・・多分広東語とか、北京語とかなんだろうけど。それに韓国語と、英語と・・・あとフィリピンの方の言葉・・・なんだっけ?」
「・・・タガログ語か」
「ああそうそう、それも分かるんじゃないかな ―― それで、面白いのはここからなんだ」
「・・・面白い?」
「うん。そういう風になると、俺たちみたいな勉強をしてきた人間は、自分もその言葉で答えようとするだろう?広東語で話しかけてきたら広東語で、韓国語で話しかけてきたら韓国語で、みたいに、話す勉強をしようとする」
「そりゃあそうだろう、普通」
「だよね。でも龍二郎さんは全然違って、何語で話しかけられても、返事は日本語なんだよ。もう本当に、揺るぎない感じで、きっぱりと」
「なんだそりゃ。それじゃあ話が通じないだろう」
「うん、そう思うんだけど、何とそれなりにきちんと意志の疎通は図れているっぽいんだ、見てると。身振り手振りは多少あるんだけど、それだって相手の言っている事がある程度分からないと話にならないよね。
 あの人見てると、俺たちが勉強してきたことって無意味だったんだなぁとつくづく思う。そもそも言葉なんてコミュニケーションを図るためのツールなんだから、意志が伝われば、どんなやり方したっていいんだよね。例え話せなくてもさ」
「・・・、・・・。
 ―― それで、他には?」
「あとは、もの凄くストイックに身体を鍛えてる」
「・・・身体?」
「うん、ジムでね。一度一緒に行ってみたことがあって、最初は機械を使うんだけど ―― ちょっとやらせてもらったらもの凄い負荷をかけてて、龍二郎さんが助けてくれなきゃ俺、前屈ならぬ後屈するところだった。インストラクターの人が言うには、プロ並みの負荷だって」
「・・・・・・。」
「しかも機械で散々鍛えた後でランニング・マシンで5キロ走って、プールで10キロ泳ぐって・・・つきあい切れなくて、途中で帰った。見てるだけで辛そうだよね、そんなの」
 と、怜は顔をしかめ、しかしどことなく楽しげに言った。
「・・・他には」
 と、慶は半ば義務的な口調になって、訊いた。
「他 ―― ああ、そうそう、驚くほど味にうるさい」
「・・・、味・・・?」
「そう、例えば味噌汁は煮干しで、おでんは昆布で、煮物はものによってそれぞれ鰹節か昆布で、みたいに・・・まぁ出汁が違っても食べるけど、箸の進み方っていうか、そういうのが違ってくる。ちょっと」
「・・・お前・・・、料理まで作っているのか」
 と、慶は殆ど100%義務的な口調になって、言った。
「うん、元々俺、料理は好きだっただろう、覚えてない?」
 と、怜は言った。

 慶は、そうだったか?と首を捻り、怜は、そうだったんだよ。と肩を竦める。

「とにかくそんな訳で、味には凄くうるさい。
 最初は本当に分かって言ってるのかなって思ってたんだけど、ある時スーパーで試供品のだしの素を貰って ―― いわゆる化学調味料だけど、せっかく貰ったんだしって使ってみたことがあるんだ。試してみよう、みたいな気持ちも多少は手伝って。
 そうしたらもう、一口食べて途端に妙な顔をするんだ、びっくりした、本当に。手が抜けなくて大変だけど、そういう細かい部分に気が付いてくれるのって、頑張り甲斐があるよね。
 龍二郎さんはお母さんが京都の生まれだって言ってたから、きっと小さな頃からきちんと出汁をとって作った料理を食べて育ったんだろうなって。それに ―― 」
「 ―― 怜、ちょっと待て。聞きたいのはそういう話じゃなくて、もっと別の・・・」

 箍(たが)が外れたように話し続ける怜の言葉を遮って、慶が言い ―― それとほぼ同時に、どこかわざとらしい派手な笑い声が、大きく店内に響いた。

 店にいた人々の視線が一斉に集まる中、慶の後ろに位置する席に座っていた男が笑いを納め、ゆっくりと首を回して振り返る。

 そして言う、「あんた、もうその辺で諦めな」