Love Potion

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「・・・なんだ、宮迫(みやさこ)か。どうした」

 ベンツの運転席から顔を出した男を見て、五木が言った。

「実はついさっき、安中(やすなか)さんが事故りまして・・・それをお知らせに来たんです」

 申し訳なさそうな声で、宮迫と呼ばれた男は言った。

「何、事故だって?で、安中はどうした。怪我人は?」
「いえ、物損事故だったので怪我人はいないんですが、スピード違反やらかしてたらしくてですね・・・安中さんは警察にしょっぴかれたということで」
「ったく、何考えてんだ、あいつは。アホか」
 と、五木は顔をしかめて吐き捨てる。

 それを受けた宮迫は、五木の手前否定する訳にもいかないし、そうかと言って頷く訳にもいかない、という微妙な表情を見せつつ黙っていた。
 安中という名の男の方が格上なのかもしれないな、とそれを何となく横で見ていることになった怜は思った。

「で、おまえが安中の代わりに迎えに来たのか」
 顔をしかめたまま、五木が訊く。
「いえ・・・、俺はこれから本家に組長を迎えに行くところでして」
 微妙な表情のまま、宮迫は言った。
「 ―― じゃあ誰が俺を大宮まで送ってくんだよ」
「それがですね・・・、実は今、組のもんが全員出払ってて、人がいないんですよ。車はあるんですが・・・」
「はぁ?じゃあ俺が自分の運転で矢田一家の本家まで行けってのか?組長の代理で向こうの総長に会いに行くのに?んなバカな話があるか」
「・・・すんません・・・」

 怒鳴るという訳ではないが、五木が重い声で言ったのを聞いて首を竦め、宮迫が謝る。
 とはいえ組長を迎えに行くという宮迫を頭ごなしに怒鳴りつける訳にもいかないのだろう。
 五木はむっつりと黙り込んだまま視線を泳がせ ―― その視線がふと、怜を捉えた。

「そうだ、なぁ、あんた ―― 葛原怜って言ったっけ?車、運転出来るか?」
 と、五木が訊いた。
「・・・はぁ。まぁ、一応」
 と、怜は答えた。
「じゃあ悪いけどさ、ちょっと大宮まで車を運転してくんねぇか?これからなんか、用事あるか?」
「・・・いえ、用事は特にないですけれど、でも、そんな・・・俺は何も分からないですけど」
「ああ、俺たちの難しいしきたりとかのことは考えなくていい、自分の運転で行ったりタクシーで行ったりするよりゃ格好がつく、ってだけの話だからさ ―― あー、でも左ハンドル大丈夫か?残ってるのって、ベンツだよな?」
 最後の部分を、五木は舗道脇に停まった車から顔を出したままの宮迫に訊いた。
「ええ、一台クラウンが残ってますが、洗車してないんで」
「ふん、問題外だな ―― どうだ、左ハンドルは?実家にゃ外車しかなさそうだよな」
「確かにそれは、そうでしたけど・・・ ―― 」

 じゃあ問題ないな。と五木は怜の躊躇い気味の声を遮って言い、続けて、

 ドア開けたり閉めたり、そういうのは全く必要ないから。とか、
 大宮の向こうの家の前に着いたら、そのままこっちに戻っていい(帰る頃には誰かしら手が空くだろうから、それを呼ぶから)。とか、
 お礼は後日、きっちりさせてもらうからさ。とか、

 あっと言う間もなく、話を進めて行ってしまう。

 そこには怜が何かを言ったり考えたりする暇は全くなく ―― あれよあれよという間に五木が捕まえたタクシーに乗せられてしまう、怜であった・・・。

「じゃあそういうことで ―― よろしくお願いしますよ」

 書類の必要箇所に印をついた男が、揃えた書類を龍二郎に差し出しながら、言った。

「こちらこそ、今後ともよろしく頼みます」

 差し出された書類を受け取りながら、龍二郎は答えた。

 ―――― 新宿都庁傍にある、ホテルの一室。

 特別違法でもないが胸を張って合法とも言えない、グレーゾーンに位置するその取引を思った通りに纏めた龍二郎は、受け取った書類の内容をざっと確認した。
 そしてそれを、横に立っている三木谷に手渡す。

「あいかわらず派手にやっているらしいじゃないですか。噂が入ってきていますよ」
 九竜会の息がかかった会社の社長をしている大木敦也(おおきあつや)はそう言って、笑った。
「とんでもない。新宿のあの辺りは本当に大変で・・・、毎日様子を伺いつつ、綱渡りしている感じですよ」
 肩を竦めて答え、龍二郎は苦笑した。
「都内でも、特に歌舞伎町は大変でしょう。保健所も来る度に言うことが違うんだと、知り合いのラブホテルの経営者がぼやいていましたよ」
「確かに保健所にしても消防署にしても、指導法は無茶苦茶ですね。それに加えて最近は、検査の回数が増えましたし ―― 」

 と、龍二郎が答えかけた時、ドアの開く微かな音がして、部屋の外にいた安藤が顔を出した。
 その表情を見た龍二郎は何気ない風に大木に断りを入れ、立ち上がる。

「 ―― どうした」  部屋を出て扉を注意深く閉め切ってから、龍二郎は抑えた声で訊いた。
「今、怜さんが五木さんを送って大宮まで車を運転すると、組事務所に来られているそうです ―― そんな話、佐伯さんは聞いていませんよね」
 龍二郎同様に抑えた、しかし早い言い方で、安藤が言った。

 それを聞いた龍二郎の表情が、一変する。

「怜が五木を、って・・・なんだそれ、聞いてねぇよ。どうしてそんな話になってんだ」
「事情はよく分かりません。今しがた、高須(たかす)さんが組事務所に戻られてそれを見て、取り急ぎ知らせて下さったんです」
「・・・、・・・高須が戻ってるってことは、もうすぐ及川さんも戻るだろうな」
 と、数瞬考えてから、龍二郎は厳しい声音で言う。

 高須というのは、龍二郎と同じく芳賀組の若頭である及川健司の補佐を務めている男だった。
 彼は十年以上及川の元で働いている、極道には珍しいほど落ち着いた、よく気の利く男で、及川は滅多に彼を側から離さないのだ。
 その彼が組事務所に戻っているということは、そう間を置かずに及川も戻るはずだった。

 安藤もそう考えていたのだろう、
「ええ、恐らくは」
 と、すぐに頷いた。
「じゃあ及川さんに連絡をして、悪いが急ぎ事務所に戻って、何とか五木を止めておいて欲しいと頼んでくれ ―― 俺も今からすぐに戻る」
「 ―― 分かりました」

 頷くのとほぼ同時に安藤は身体を返し、足早にホテルの廊下へと出て行く。

 その後ろ姿をちらりと見送ってから、龍二郎は大木の待つ部屋のドアノブに手をかけた。